ものの判断基準

善とか悪とか、良いとか悪いとか。ものの判断というのはとても難しい。

人間同士が関わる社会では、判断基準としてのルール=法が持ち込まれることで、なんとか合意を形成することができる。

まだルールが無いものについては、判断基準が曖昧だからこそ、ルール作りを含めた論理的思考が求められると思うのだが、議論が苦手な人々の集まりでは、どうも感情による判断が多くなりがちで、二項対立に持ち込んでしまった挙句に、先送りということが多いようだ。

一つの議案に対して、建設的に議論するためには、時には相手の意見に対する批判も必要で、それは決して個人を否定しているわけではないし、あるいは二項対立に持ち込んで自分の正義を貫くためではないということを今一度確認しておきたい。

そしてそんな場合であればこそ、まずは議論のテーブル作りが必要で、そのテーブルは「論理的かつ合理的であるかどうか」という条件に基づき作られなければならないはずである。

その部分を曖昧にして、議論を重ねていっても到底答えにたどり着くことは難しく、やはり、先送り、最悪の場合は、意見の強い方が勝ちという、単なる報告会議になってしまいがちだ。

したがって、そんな不毛な時間を過ごすのではなく、会議に参加する人たちは、常に論理的思考を持ち、判断基準を単なる感情や自分の価値観にしてしまわないよう注意することだと僕は考える。

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