民主主義という落とし穴

今日、こんなことを書くのは不謹慎なのかもしれないのだが、民主主義ってなんなのだろうという問いをあえて立ててみたい。

「民主主義は完璧なシステムとしてこれまで機能してきたのに、今日、ある悪者の手によって葬り去られてしまった」みたいな話になっている気がするのだが、本当にそうだろうか。

お金がまわり、そこそこの暮らしが保証され、戦争に直接的に巻き込まれていなかった状態を「民主主義のおかげ」というのはちょっと短絡的すぎると思う。

議会は、利害関係の調整の機構として置かれ、主に支持基盤を持つ政党によって運営されている。数の原理により、自分たちにとって最も都合の良い話を出し、議論はするが、反論に耳を貸す余地は無い。これが実像だろう。とすれば、やはり甘んじて議会の決定を飲むしかない。(もちろんその成立プロセスが正しい場合のみだが)

誰にとって都合が良いのか。本来ならば大多数となるはずだが、人々にとって実際の「大多数」なんて実態はよくわからず、なんとなく「テレビや新聞でもそう言ってるから、そうなんじゃないかなぁ」が多くの意見なのだと思う。そして何となく投票し、もしくは、特に自分の生活とは関係ない話だから、興味がないからと投票を棄権する。

これが民主主義の実態なのだとしたら、実際にこれまである種の成果をあげて来たことすら不思議でしかなく、とてもではないが、民主主義が機能して来たとは言い難い。

「共謀罪に反対する」という旗印が有権者の最大公約数になりうるか、ただでさえ、そのような状態であるのに。僕は甚だ疑問だ。なぜならこれは民主主義が機能しているという前提での議論でしかないからだ。

機能していないという前提で行けば、イギリスの労働党のようなマニュフェストになると思う。有権者に直接的に訴えうる、最大公約数的な何か。先にそこに耳を傾けるべきなのだと思う。共謀罪を廃案にするという話もその先にしかない。

国民主権の戦後70年は人々にとって長い道のりであったかもしれないが、民主主義にとってはごくわずかな時間でしかない。後世にもこの最も理想的なシステムを遺すためには、やはり僕らの不断の努力が求められているのだと思う。

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