ルール

好きな音楽がある。好きな音楽を共有できる友だちがいるとき、とても幸せな気分だ。でも、嫌いだという人もいる。そういう人に強要はしない。

気分が悪くなる出来事がある。でも、それが同じように誰かの気分を害するわけじゃない。だから、それを共感してほしいとは思わないし、強要はしない。

そんな風に僕らの社会は色々な考えの人がいて、簡単に分かり合えたりしないものだ。(それをどうこうしようなんておこがましい考えは僕には無い。議論は大歓迎だけど。)

社会はこんな風に成り立ってる。これが大前提。だからこそ互いに納得がいく共有のルールが必要になる。

古の時代から、このルールをめぐり、沢山の血と汗と涙が流された。それゆえ、ルールを作る人、ルールが守られているかチェックする人、ルールを運用する人と、役割を互いに尊重しつつ分けて置くことを先人たちも義務付けたのだと思う。

ところが、このルールが意図も簡単に破られてしまった。

正当な手続きを経ずにルールが変更できるほどのフリーハンドを特定の個人や団体に与えてしまって良いのか。これは民主主義において大変重要な問題なのだ。

民主主義を愚弄する行いが許されれば、自由は奪われる。あなたが放っておいた行為、うっかり目をつぶってしまったちょっとした行為はやがて大きなうねりとなって、自らの自由を奪うことになってしまうと思うのだが、どうだろうか。

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