少年と罪――事件は何を問いかけるのか 中日新聞社会部 (ヘウレーカ)
私たちの社会はよく理解できない事件が起こった時、悪者(犯人)探しからはじめることが多いように感じる。しかし、人間の社会は実に複雑であり、様々な要因が絡み合って構成されている以上、決してある一面からのみ検証することはできないはずだ。従って、「犯人」を見つけたところで事件の全容が解明されるわけではなく、とりわけ凶悪な犯罪であればあるほど、再犯の防止という社会的な意義が発生するため、裁判を通じた仔細な検証が必須になるだろう。
本書はその中でもとりわけ複雑な少年事件にスポットを当て、新聞記者たちの視点で、被害者側、加害者側の心境、少年たちを取り巻く環境、発達障害との因果関係、報道のあり方、事件が起きるまでのプロセス、時代背景、少年法の法整備など多くの要因から検証を試みる。
読み進めていくうちに、こういった事件は遠く離れたどこか無関係の場所で起こっているのではなく、我々が暮らすこの社会のすぐ近くでいつでも起こりうるのであり、私たちの子どもたちが、被害者になることも、加害者になることも決してありえないことではないということがわかる。しかしながら、本書はそうならないための確実な手段を明示しない。終章で神戸連続児童殺傷事件を取材した藤沢はこう記す。
では、あのような事件を防ぐ手だてはあるのか。答えは、分からない。言えるのは、すべての要素が「負」でそろわないようにすること。居心地の良い場所やぬくもりを感じられる人など、子どものよりどころを確保することが大切だと思う。(P.244)
果たして私たちにできることは少ないのだろうか。否、私はそうは思わない。子どもたちと恐れずに向き合っていくためのヒントはここにある。社会がこれまで目を向けてこなかった少年事件。その闇を深く掘り下げてくれた本書に一筋の光を見いだすのは私だけではないはずだ。