浮ついた街

僕は12月の浮ついた街が好きだ。

月並みだけど、お店がキレイにラッピングされて、人々の表情には「もうすぐ終わる」という安堵感が見てとれる。

「終わり」はなんとなくだけど、あまり良いイメージを持たれない。寂し気で絶望感があって。そんな「終わり」を友だちだと歌ったのはジムモリソンぐらいだろうか。

でも僕は「終わり」は再びスタートするための区切りだと思っている。リニューアル、リスタート、リボーン。一度、終わりにして、次に行くための「終わり」。そう12月の街にはそんな空気が溢れてる。


昆虫たち、特にセミは命の儚さの代名詞のように言われるが、(昆虫としてはセミの命は長いほうだ。) 昆虫たちはこどもと親が同時に生きることをひどく嫌う。自分の命が終わることで、次世代に命をつなぐリレーを人類が誕生する以前からずっと繰り返すことで、自分たちの命を守ってきた。地球という環境こそが命の本質とわかっている生き方だ。

哺乳類は親と子が同じ時間を生きる。そして、親は子に自分の居場所を簡単には明け渡さない。

終わらないということは、始まらないということでもある。時間、空間は有限であり、空かない限り、次の住人は入ることはできない。

すみやかに、今いる場所を美しいまま明け渡し、次の世代へと受け継いでいく。人間にとって「終わり」とは終了のゴングではなく、始まりの鐘の音でありたい。

辺野古への土砂投入のニュースに触れ、怒り冷めやらず。いつまでも過去にとらわれ、自分の居場所を決して譲らず、美しい地球を破壊し続ける、愚か者どもに捧げる。


今日は毎年の専門学校での講師の日。若者たちの活躍を切に願う。

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