JOKER (ネタバレあり)

10/4金に観てきた。

予告編をずいぶん前に観て、ずっと気になっていた本作「JOKER」。まさかロバートデニーロが出演しているとはつゆ知らず。けれど本作が「キングオブコメディ」や「タクシードライバー」のオマージュであることはすぐにわかった。

バットマンの旧シリーズへのリスペクトもさることながら、映画そのものへのリスペクトを随所にちりばめ、ヒーロー物の枠にとどまらない、映画ファンたちを満足させる出来に仕上がっている。

「ジョーカー」というニックネームが、トランプのジョーカーだけでなく、ジョークを言う人というミーニングがあったのだとするスクリプトも秀逸。古くからのバットマンファンを唸らせる。

また、今まさに僕らの目の前で起こっている沢山の問題と深く関連づけることで、単なる娯楽映画ではなく社会派な作品にも仕上がっている。


アメリカはキリスト教の国であるがゆえの善悪の考え方があり、国民は誰であっても良かれ悪かれその規定路線の中で生きて行くのだろうと僕は思っている。けれど、本来、普遍的な倫理観であるはずの善悪は、過酷な環境下、例えば生きて行くことすら困難な人々にとっては、副次的なものでしかなくなってしまう。

主人公アーサーが置かれている環境は、まさに今取り上げられている問題ばかりだ。貧困、孤独、いじめ、社会サービスの低下、親の介護、幼少期の虐待、劣悪な労働環境、失業、人格特性と精神的な問題、依存症、適応障害、社会にうまく馴染めないなど。これらは果たして当事者だけの問題なのか。本人は善人でいたくとも、はみ出さないと生きていくことすらできない状況。貧困や孤独の中でもがきながら懸命に生き、夢を追いかけていた主人公アーサーは世間に絶望し叫ぶ。

「僕が歩道で死んでいても、みんなは踏みつけて通り過ぎるだけだろう。」

監督は主人公アーサーつまり、社会的弱者に対する憐みと慈しみの眼差しを絶えず注ぎながら、なぜアーサーはJOKERにならなくてはならなかったのかを丁寧に描く。アーサー役のホアキンフェニックスも全身全霊でその心の移り変わりを演ずる。観客たちもいつしかアーサーに同情心を抱く。そして作品は問いかけるのだ。正義とは一体誰のためにあるのか。善悪を分ける原因は果たしてどこにあるのか。資産家のウェインが本当は悪役であり、貧者の代表JOKERはその犠牲者ではないのか。

テロ、銃乱射事件、通り魔殺人、無差別殺戮。これらは現実の事件としてアメリカに限らず世界中で起こっていることだ。日本だって例外ではない。いまこの瞬間にもJOKERが世界のどこかで生まれている。社会的弱者が生まれる限り、この状況は変わらない。JOKERをバットマンが叩いたところで、必ず次のJOKERは生まれてくる。それは弱者を生み出す社会の構造に原因があるからだ。根本から変えなくてはならない。誰かを忌み嫌うのではなく。この作品はそのことを僕たちに強く訴えてくる。


とにかく素晴らしい作品なので観てください。感想を話しましょう。

あ、そうそうホアキンフェニックスの演技はマジですごかった。これは必見です。

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