2021年 年頭にあたって

喪中のため、新年のご挨拶は控えさせていただきますが、新しい年を迎え、思うところを書き綴りたいと思います。

コロナウィルスの感染者数がいよいよ1300人というニュースが昨日入ってきました。深刻な状況であることは疑いようがありませんが、すでに国民の正常化バイアスは来るところまで来ているような気がします。僕自身、手洗い、うがい、マスクの着用、不要不急の外出をできるだけ避けるなど気をつけてはいますが、実際のところ、どこまでできているか全くわかりません。とにかく今は、伝染らないこと、伝染さないことを心がけ、日々過ごすしかないと考えています。一日も早い終息を願ってやみません。


コロナウィルスは、僕自身の生活にも様々な変化をもたらしました。例えばマスクは一つのファッションアイテムとして選ぶようになりましたし、文化やスポーツの大切さもより身に染みるようになりました。

中でも映画はステイホーム中から多く観るようになり、昨年1年間で386本鑑賞しました。もちろん人生で最も多い本数です。(その分読んだ本の冊数が減りましたが。)

身体と心の安定を図るため、5月からランニングも始めました。今は週2〜3回走っています。

それでも、悩みは尽きませんし、解決すべき問題も山積みです。果たしてどうすべきかと考えてばかりいます。

とりわけ、コロナによって可視化が進んだ自粛警察のような人々の存在は、コロナに限らず、社会の分断の象徴として、僕の心に爪痕を残しました。人それぞれの倫理観の差が原因として挙げられると思います。


倫理観の差は誰にとっても大きな問題です。僕は他者の考えはできるだけ受け入れようと思いますが、(間違った前提の上に立った考えは別です)「法」とは直接関係がない、善悪の感覚は如何ともし難い。

本来、この世界にあるものは、人類あるいは人類が築いたもの以外、善悪という概念を持ち合わせていないはずです。正しいライオンとか、間違った鳩とか、良い富士山とか、悪いカブトムシとか。けれど、人類は自分の考えを持つようになる過程で、良い人間と悪い人間がいると考える。僕はそういった、法とは無縁の善悪については本来存在しないと考えます。

例えば、挨拶できる人間は正しい、できない人間は間違っている、などとは考えない。つまり、自分(自分の考え)、あるいは一般論を基準に正しい、間違っているなどとは考えないということです。なぜなら、そこに分断の根があるからです。

正しさを他者に求めないこと。2021年はそのことがより大切になるのではないかと僕は思います。


さて、さしたる目的や目標、ゴールも持たない僕ですが、日々楽しく生きるためには今年も全力であたろうと思っています。変わらぬご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします。

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