1986年4月

砂埃が舞うグランドに濃い紫色のヘルメットを被った大きな男たちが「ガチンガチン」と音を立てながら互いの身体をぶつけ合っている。時折大声を出したり、あらぬ方向へと転る楕円球を追いかけたりしながら。もうかれこれ30分、いや1時間くらいは経っただろうか。そんな光景を体育館につながるコンクリートの段に腰掛け、名も知らぬ、おそらく僕と同じ新入生と並んで眺めているのだが、僕らは決してその光景をいつまでも見続けていたいのではない。僕らの両脇に、大きな肩パットをつけた、いかにも屈強な男たちが腰を下ろし、僕ら越しに会話をしているから、動こうにも動けないのだ。

「I先輩、昨日の麻雀、やばかったんですよ、満貫手で張ってるって時に、あいつ役満張ってやがって」「で、いくら負けたんだよ、点5か?」「いや勝ちましたって」

新入生を挟んで交わされるリアルな高校生の会話にただただ黙っているしかできない僕は、レコードレンタル店のロゴの入った袋を胸の前で後生大事に抱えながら正面で繰り返される肉弾戦をじっと見ているしかなかった。

「少年、なに大事に抱えてるんだ?」まさか自分に話しかけているんだとは思わず、一瞬たじろいだが、僕の右にピッタリと座った”I先輩”は、明らかにこちらを見ている。「あ、えっとレコードです。今日返さないといけなくて…」「中、見せてみ?何借りたんだー?お!タンクの新譜じゃん!君、ハードロック好きなの?気が合うねえ!」「あ、はい…」内心、タンクなんてマニアックなバンドを知ってる人がいるなんてと高校生のすごさを感じながらその人の優しい口ぶりにちょっとドギマギしていると左の”K”と呼ばれている、どうやら2年生の先輩は、僕の左に座る新入生に何かを話している。そいつはどうやらウッカリした奴だというのは次の瞬間、判明した。

「というか、先輩たち、何してるんですか?練習しないんですか?」

「あーん?」

場が一瞬にして凍りつき、両脇の先輩たちの鋭い視線がそいつに注がれる。明らかに気分を害したようだ。マンガでしかみたことのない、こめかみに現れる交差点を見た気がした。いや、はっきり見た。

「君たちそこで見ていなさい。僕らが戻るまでそこを動いたらいかんよ。ふふふふふ」二人の先輩は地面に置いていたヘルメットをつかみ、おもむろに立ち上がり、グランドに走っていった。

砂だらけのグランド。校庭の一番はじの狭い空間にひしめき合うヘルメットを被った集団。KT高校アメリカンフットボール部。そう、僕がここに来たのは多分偶然じゃない。


「あ!澤田くん、アメリカンフットボールやらない?」桜も散りかけた入学式の日、月並みだが期待に胸を膨らませて正門をくぐり、校舎までの道を颯爽と歩く僕の正面に現れたのは中学の時のKさんだった。「私、アメリカンフットボール部のマネージャーなの。ね、フットボールやろうよ」「いや、あの、えっと…、ほかに入ろうと思ってる部活があるんで…」となんとなく言葉を濁し、残念がる先輩の横をすり抜け、再び歩き出す。心の声はちょっと興味があると言っているのに。そう、目に焼きついているのは第20回スーパーボウル。アメリカ中で大フィーバーを起こしたシカゴベアーズの勇姿だ。でも、水泳以外できない僕じゃ無理。まさかアメフトなんて…できっこない。

それから数日、人見知りな僕は放課後まで誰とも話すことなく、部活見学の時間に一人で校舎の裏に歩いていった。雑然と並んだ自転車の前で2人の男子生徒が小さい重りをつけたバーベルを持ち上げている。

「あのー、この辺で水泳部が活動していると聞いたんですが…」「え!入部希望者!?」「はい、一応…」「ね、ね、君、何秒で泳げるの?」「100m自由形で1分切るぐらいすかね…」「やったー!」歓喜の声をあげる先輩たちに戸惑う僕。「これで我が部も宿敵SW高校に勝てるぞぉぉ!」「で、あの先輩たちは何をやってるんですか?練習はどうしてるんですか?」「プールは夏だけ。冬は筋トレ!」こりゃ、ムリだ。いや、絶対ムリだ。速くなるわけない。

1986年4月は76年ぶりにハレー彗星が地球に接近した。天文少年っていうほどでもないが、定期的に五島プラネタリウムに通っていた僕にとっては、まさに世紀の天文ショーで、望遠鏡でみたいという思いが強かった。水泳部にゲンナリした僕が次に向かった場所は体育館横の比較的新しい建物の理科室、天文部だ。新入生説明会にはざっと20名くらい集まっていて、水泳部とは雲泥の差だった。しかし、説明会が始まるや否や僕の野望は見事に打ち砕かれる。「新入生にはハレー彗星は見せません。」

がっかりした僕の耳にロックがかすかに聴こえてくる。そうだ、視聴覚室では、軽音楽部が新入生歓迎ライブをやっているんだった。中学でバンドを組み、ギターを担当していた僕にはピッタリ来る部活かもしれない。でも、ロックと部活っていう取り合わせがなんともピンとこない。とりあえずと中を覗いてみると、髪を立て、古着のセーターの袖で手を隠したボーカルがシナロケのレモンティーを歌っていた。やっぱり違う。これも違う。

上の空で階段を降り、食堂の前を横切る。渡り廊下の向こうに紫色のヘルメットが見えた。にわかに運命的なものを感じ始めていた僕はふらふらとなにかに誘われるかのように体育館の脇に歩いていった。


I先輩とK先輩がヘルメットを被り、スクリメージと呼ばれる、実践形式の練習に参加した。I先輩はQBという花形のポジション。K先輩はWRというパスキャッチ専門のポジションだ。「レディ!セット!」I先輩の投げた楕円球は、大柄な男たちがもみ合う頭上をコマのように回転しながらスピードを上げて飛んでいく。それを走り込みながら芸術的に捕球するK先輩。息を呑む瞬間。さっき与太話をしていた2人とは別人だ。すごい。

やがて、練習が終わった。グランドに円陣を組んでヘルメットを脱いだ先輩たちが並んでいる。結局、最後までみてしまった。さあ帰ろうかと立ち上がった瞬間。再び両脇に先輩たちが陣取った。

「さ、行くか。」と腕を掴まれた2人の新入生はなすがまま円陣に連行されていく。「え、いや、僕まだ何も…」

練習を終えたばかりの先輩たちは、みな、汗と砂埃で顔が真っ黒だ。けれどイヤじゃない。むしろ清々しくて眩しかった。「さて、では新入生を紹介しまーす。今日から入部した…きみ名前なんだっけ?」笑いが渦巻く中、僕のこの先の運命が否応なく決まった。けれど、本当はそんなに悪い気はしていなかったんだ。これが、僕とアメリカンフットボールとの出会いだ。

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1986年4月 への2件のフィードバック

  1. 臨場感が伝わってきて、一気に読みました。必然ですね^_^

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