明けましておめでとうございます。

旧年中はお世話になりました。

なんだか急激に日常が戻ってきたような感じで、去年はバタバタとすごいスピードで過ぎていったような気がしてます。

音楽活動は全くできませんでしたので、今年は少しずつでも戻せたらと思ってます。スポーツはひとりでやるものばかりなので、世の中のこととは関係なくかなりガッツリやりました。これは今年も続けていこうと思ってます。その他のことは焦らずいつも通り、自分らしくあれば。です。

カテゴリー: Uncategorized | コメントをどうぞ

正しさとか、正しい言葉とか。

自分の正しさを証明しなければならない場面ってどのくらいあるのだろう。僕は自分の言葉や会話の中にそれを認めることはほとんど無いのだが、人によってはそればかりの人もいる。あえて言うなら「自分以外の他人は間違っている」と考えている人は、正しさを常に意識して日々過ごしているのかもしれない。では、正しさってどう証明されるのか。

僕は物心ついた時から、非論理的な言葉やルールを許さないという姿勢を貫いている。なぜだかはわからない。学生時代は長髪だった時期が長いのだが、例えばバイト先で「髪を切れ」と言われると理由がはっきりしないのにそんなことを言われるのはおかしいと考えるので「ではやめます」と即答していたが、今でも間違っていないと思う。僕はそういう「トラブル」は〇〇的(日本、学生、社会人、男子、女子、属性を表す言葉ならなんでも当てはまります)正しさという裏付けのはっきりしない非論理的な言葉の押し付けから来ていると考えている。江戸時代は丁髷だったのに日本的とはこはいかに。となぜみんなは考えないのだろうか、不思議でしょうがない。ひとつひとつ検証してこなかったこと、みんながそうなんだからそうなんだで片づけられてきたこと。そういうものが原因なのではないだろうか。

でも、こういう態度は、不遜とか、生意気とかということで片づけられてしまうことがほとんどだ。そりゃそうだろう。そもそも論理的に説明できる人などいないのだから。彼らは大声で「ルールはルールだ」と身も蓋もないことを言うだけだ。でも、これは支配的な関係性の中だけで成立するので、立場が変わると全く通用しなくなる。だからこそ、あえて考えてほしいのは、相手を糾弾できるときはそうでも、それが通用しない状況で自分の正しさを証明するとなったら果たしてどうするのかということなんだ。

話はそれるが、日本語ではなんとなくやり過ごしてしまう文法も、あえて英語で学ぶととても論理的だなと思ったりするものだ。母国語ではない英語を体系的に学ぶために、色々な用語が用意されている。人によってはかえって覚えにくいということもあるかもしれないが、整理するためには良いところも大いにあると僕は思う。自分と他人、能動と受動、など様々な角度や方向でコミュニケーションは成立しているんだということを理解しやすい。逆に言えば、こういうことを考えずに喋れてしまう日本人にとっての日本語は、論理性も低く、議論するのが難しいとも言えないか。自分の正しさを自分の方向から証明してしまおうと相手の意見に耳を傾けず、自説だけをベラベラと捲し立てている人たちが散見されるのは、あるいはそういうことではないだろうか。

言葉や会話を論理的に整理できれば、混乱やミスコミュニケーションも少なくなり、人間関係も整理されると常々考えている僕としては、ワーワーと自分の正義だけを喚き立てる、あるいは、それを第三者としてそのまま広めたり、非論理性を明らかにしないまま、次の議論に移っていったりすることは、全くもってけしからんと言わざるを得ない。自分の正しさを証明するのであれば、自説に誤りがないか点検し、相手の意見や第三者の意見に耳を傾けた上で、客観性と論理性を持って証明すべきなのだ。スタートラインが「自分は正義だから間違えるわけがない」というのでは、証明などできっこない。そしてそういう類の人間は無意識に他人を傷つける、あるいは不愉快な思いをさせることが多いと僕はそう認識している。

カテゴリー: Uncategorized | コメントをどうぞ

波乗り楽しい♡

この秋は良い波に出会えるタイミングが多く、とても楽しい。わざわざ自分で自分を撮影したりはしないけど、確実に上達してるのがわかる。ランニングや陸上トレーニングに取り組むのも上手くなりたいって気持ちが相当大きく影響してる。50を過ぎてもまだまだやれる自分でもいたいしね。

ただ、両足つるのだけは勘弁して。めっちゃ痛い。睡眠時間とか影響してるんだろうなあ。

カテゴリー: Uncategorized | コメントをどうぞ

イチゴの味のヨーグルト

そのヨーグルトを宅配してもらうようになって、何ヶ月か経った。

しばらくコンビニで買って食べていたのだが、店頭には並んでいない「イチゴ味」がいまだ現存していることを知り、懐かしくてどうしても食べたくなったことが発端だ。

調べてみると、街でよく見かける制服を着て原付バイクに乗っている女性が自宅まで運んでくれるシステムを利用すれば、またあの味にたどり着けるということだったので、頼んでみることにした。こういう時にインターネットというのは実に便利だ。

玄関先で直接受け取るのもなんだか億劫だなと思っていたら、簡易クーラーを介しての受け渡しもあるという。無理に笑顔を作ったり作られたりする面倒が省けるのでそうしてもらうことにした。

届いたのは、緑色の蓋のついた角のないクリーム色の簡易クーラー。主張しないように考えられたのかもしれないが、妙にぼやけた色、形が、むしろ、際立ってしまって、風景と全くマッチしない。まあでも、仕方あるまい。

一週間に一度、決まった曜日に7個。3種類の味が混ざって届く。「イチゴ味」はそのうち2個だ。

しかし、それはそれで厄介で、クーラーをうっかり玄関先に出しておくことを忘れてしまったりして、スムーズには行かない。それでも、そのヨーグルト自体は好きだし、子供の時代を思い出すようで、飽きもせず毎日食べている。

ヨーグルトが体に良いとか悪いとかそういうことはどうでもいい。

早朝、家を出る前に一つ。蓋の裏側についたのもしっかり舐めて、キレイに食べてから出かける。あれは不思議だが、味によって、蓋についたりつかなかったりするんだ。同じ味のものにほぼ個体差はないのに。どういうことだかいつか突き止めなくてはならない。

そうそう、一日に二つ以上食べてはならないという独自のルールがある。実はそのせいで、何度かこの周期を繰り返すうちに余りが出て、冷蔵庫のストックは二つになってしまった。

一日一つルールを特に誰かに宣言したわけではないから、破っても良いのだろうけど、こういう性分がそれを許さない。そういうものが僕には他にいくつもある。何かをするときの順番とか、あげるとキリがない。ルーティンみたいなものだ。それなのにクーラーを出すのは忘れる。どういう訳なんだろう。

あのクーラーの形や色や存在感が、どうしても嫌だからかもしれない。あれをデザインして採用したやつの気が知れない。まだ昔の牛乳箱の方が魅力的だ。黄色くて赤い字で玄関や門にくくりつけてあった斜めの蓋のあれだ。あの蓋を開けるときの高揚感が良い。当然入ってるんだけど、もしかしたら入ってないかもしれないと想像するあのひと時が。あれが良い。

こんな風に最近すぐ感傷的になる。50を過ぎてから余計にそうだ。イチゴ味のヨーグルトも小学生のとき、お婆ちゃんがよく買ってくれたものだ。

真っ赤な彼岸花が風に揺れている。

もうすぐお婆ちゃんの命日だな。

お墓参りに行かなくちゃな。

カテゴリー: Uncategorized | コメントをどうぞ

R.I.P. Charlie Watts

本当にありがとう。あなたのドラムは、僕の大切な青春の1ページです。

The drummer thinks that he is dynamite, oh yeah!

If You Can’t Rock Me / The Rolling Stones 1974

カテゴリー: Uncategorized | コメントをどうぞ

Paterson 美しいと感じる心のあり方 (ネタバレあり)

前回のブログで投稿したジム・ジャームッシュ レトロスペクティブ2021の12作品、全てを昨日観終えた。大好きな監督の作品たちは愛と美しさに溢れていて、本当に心を打たれた。

ここまで映画と共に旅をしてきた監督の「今」の気持ちに繋がる色褪せない美しくも切ない物語の数々は、人間の普遍的な部分を切り取り、何もない日常の愛おしさを表現する一方で、資本主義社会の物質的な汚さを痛烈な批判しているとも感じ取れる。
若さに満ち溢れ挑戦的な作品であり処女作の Permanent Vacation から円熟味を増し最も味わい深い作品に仕上がっている Paterson まで。詩的な美しさを一緒に探求して行く擬似体験のような時間だった。

Paterson は、これで3回目の鑑賞となる。そしてようやくこの映画の本当の素晴らしさに気がついたのだった。



ニュージャージー州パターソン。偉大な詩人「ウィリアム・カーロス・ウィリアムズ」を生み出した土地に暮らす、街と同じ名をもつパターソン青年は、詩をこよなく愛する市バスの運転手である。美しい妻と愛犬と規則正しく慎ましい生活を送っている。

彼の詩は日常生活の中で目につくものを題材としている。映画冒頭で読まれる「Love Poem」は机の上に置かれたオハイオブルーチップマッチを題材にしている。他の人から見ればただのマッチに過ぎないものが、彼の目に止まり、言葉として表現されると、彼の美しい妻への愛の詩となる。
ところで「マッチ」はアナクロなものとして非常に印象的だ。パターソンの歴史ある街並みー煉瓦造りの建物や街のシンボルである滝、グレートフォールズーも美しい。彼はTVを観ず、スマートホンを窮屈だといって持たず、自作の詩もパソコンではなくノートに書き綴る。彼が手にするウィリアム・カーロス・ウィリアムズの詩集は長く愛読されボロボロだが美しい。モンスター物のモノクロ映画のシーンも美しく思える。物質的な豊かさから距離を置いて生きている様は街とシンクロする。

彼の人柄を通すと全てが美しく見えるのは、彼があらゆるものに対して優しく深い愛情を持っているからだと気がつく。妻が突然部屋中を白黒にペイントしても、通販のギターが欲しいと言っても、チェダーチーズと芽キャベツのパイがあまり美味しくなくても、彼は全てを受け入れる。「素敵だね」「いいよ」「美味しいよ」彼の愛を受けて喜ぶ彼女はまた美しい。ラッパーの詩も彼にとっては興味深く、小学生の詩を何度も暗誦し、本物の詩人に会ったと感動する。仕事仲間の愚痴も黙って聞き、自分と比較するわけでもない。誰もが彼の優しい思いやりのある人柄に好感を持っている。



マッチ箱のように誰にも気付かれない存在だとしても、彼のようにそれを美しいと思う人がいて、それを伝える言葉がある。そういえば、僕も同じようなことを思ったことがあった。

僕は写真が下手で(撮ったものが実際に見たものとはあまりにも違うので)カメラを持って歩く習慣がない。かつてグランドキャニオンに登った時、あまりの絶景に写真を撮らずに帰るのは流石に勿体ないのではと思ったのだが、「僕は言葉の世界に生きる人間だから、この素晴らしい景色を写真ではなく言葉で誰かに伝えよう」と目に焼き付けて下山した。今は古いギターを愛し、古いバイクに乗り、日記をつける。毎日同じように過ごし、大きな変化を望まない。美しいもの、人、生き物、景色に心奪われる。

この映画の素晴らしさ、美しさに気がついた僕は自分らしく生きてきて良かったと思う。新しく便利な道具も使うけれど、これからも自分の生き方は変えないと思う。美しいものを美しいと感じたいから。そしてジム・ジャームッシュ監督の作品はなぜ美しいのか。答えは、監督自身のもつ眼差し、人柄、つまり心のあり方に理由がある。永瀬正敏さんがジム・ジャームッシュについてのインタビューで答えていた。ジム・ジャームッシュを永瀬正敏が語る 「ミステリー・トレイン」名シーンの秘密〈AERA〉

「一言ではなかなか言えませんけど……ちゃんと人に寄り添っているというか、すべてのキャラクターに愛情があるというか。これ見よがしの恩着せがましい愛情じゃなくて、ちゃんと、その人の目線に立った、さりげないやさしさ。それが、どの作品からもにじみ出ている。同時に、彼の感じる何か、引けない部分っていうのかな、それがメッセージとしてどの作品にも入っている。だから共感を呼ぶのかな?と」

Only Lovers Left Alive では、ヴィンテージギターの美しさに心奪われるヴァンパイアを描いたが、彼らが敵対するのはゾンビだ。ゾンビは最新作 Dead Don’t Die で資本主義(物欲)に取り憑かれた者として描かれる。どの映画でも拝金主義者が嫌いだということがわかるが直接的に批判はしない。「でもそういうのは美しくないよね、美しさをわかる心っていうのはそういうものとは反対にあるよね」ということを描いているのがPaterson だ。そうやってそっと今の映画ファンたちに彼は訴え続けているのだろう。かつて黒澤や小津がそうであったように。

ああ、それにしても、何度も言うけど、アダムドライバーは良い役者だ。

カテゴリー: MOVIE, POET | コメントをどうぞ

JIM JARMUSCH Retrospective 2021

ジム・ジャームッシュ レトロスペクティブ2021 と題して、インディペンデント映画のトップを走り続けるジム・ジャームッシュ監督の過去の作品から最新作まで、代表的な12作品を一斉に公開するイベントが昨日始まりました。都内は4つの劇場(アップリンク吉祥寺、渋谷シネクイント、新宿武蔵野館、ヒューマントラスト有楽町)で、7/2(金)〜22(木) の期間、上映されることになっています。

かくいう僕もジム・ジャームッシュ監督の大ファン。今回はビデオでしか観たことのなかった作品もスクリーンで楽しめるので、できる限り劇場に足を運ぼうと思っています。初日の昨日はアップリンク吉祥寺で監督の大学院の卒業制作として発表されたパーマネント・バケーション “Permanent Vacation “ を鑑賞しました。

若かりし頃の監督が何を考え、それをどう表現したかったのか垣間見れた気がしました。「そうか、ここからスタートしたのか!」新しい発見がありました。

ところで、このポスター、めちゃかっこよくないですか?劇場で販売されていたので、即買いしたのですが、サイトでは売り切れ。おそらくパンフなんかもすぐ売り切れでしょう。スタンプラリーも実施されていて、集めると賞品がもらえるとか。うーん、楽しみです。

明日は渋谷に行きます!みなさんもぜひ!

カテゴリー: MOVIE | コメントをどうぞ

ヤクザと家族 The Family

たまたまなんだろうか。ヤクザを描く新作が2本同時期に公開されているのは。作品が持つ視点は全く違うとはいえ、いまやヤクザ稼業は衰退の一途を辿り、風前の灯火だという現状は共通の背景としてクローズアップされている。

この「ヤクザと家族 The Family」で描かれる平成から令和にいたるヤクザ社会の20年間が明らかにするのは、昭和の映画を彩ったかつてのヤクザ像とは大きく異なり、若者からSNSで嘲笑され、社会から抹殺された存在としてのヤクザだ。

2016年に公開されたドキュメンタリー映画「ヤクザと憲法」は、衰退するヤクザのたちの人権について踏み込んだ作品だったが、本作はそういった面にも細やかに触れながら、これまでの経緯といま彼らが置かれている現状を非常にわかりやすく、かつ良くできた脚本に練り込みながら描いていく。

家族の温かさを知らない主人公 賢治。表の社会から見放された彼がやっと見つけたヤクザ一家という家族は、時代に翻弄されながら、ついに消え去ろうとしている。裏社会の主役はヤクザから半グレへと移り、任侠は廃れ、ヤクザは家族も人間としての存在すらも消されてしまった。賢治が行き着く場所は果たしてどこにあるのか。孤独な男が心から求める家族、そして安らぎとは。

綾野剛×藤井道人というタッグが描き出す「真の家族」へのあくなき問いは、僕らがとうの昔に忘れ去ってしまった熱い何かを思い出させる。

カテゴリー: MOVIE | コメントをどうぞ

すばらしき世界

これまで西川美和監督の作品には注目してきたが、良い作品だなあという印象以上の何かが欠けていた気がしていた。だが、本作「すばらしき世界」でいよいよ突き抜けたと感じられた。

西川の視線は、主人公三上(役所広司)が、なぜヤクザなのか、なぜ暴力を振るわずにはいられないのかという点に注がれる。その視点を劇中で若手のテレビディレクターである津乃田(仲野太賀)に持たせ、主人公の今日に至るまでの足跡を温かな眼差しで丁寧に追っていく。主人公を見守る人間たちとなかなか期待に応えることができない三上。彼を救うものは果たして何なのか。良い意味で映画ファンを裏切るラストは特に素晴らしく、胸を打たれた。

仲野太賀は本作では助演ということになると思うのだが、実に見事な演技だ。主演の「泣く子はいねぇが」でもその存在感は目を見張るものがあった。なんだか印象が薄いのに温度感がある、クセのない素直な演技は、観ている者が感情移入しやすく、作品がもつ世界観に入り込みやすい。これからが楽しみな魅力的な役者だ。

カテゴリー: MOVIE | コメントをどうぞ

さよなら チャリさん

俺、優しいチャリさんが大好きだったよ。またね。

カテゴリー: PEOPLE | コメントをどうぞ