寝てしまうだろうな。途中で。
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Soul Fussa Street Friends で出演するので、今日は、打ち合わせに来ました。
かなり懐かしくって楽しいイベントになりそうなので、みんな来てくださいー!
中3になる手前で、水泳は引退した。その話はまた別の機会に書くとするが、一応、理由は高校受験だった。
しかし、俺とムコシンはある計画を秘密裏に進めていた。
「バンド組まないか?」
禁じられた遊びも少し弾けるようになっていた僕は、やっぱりバンドでロックギターを弾いてみたいと考えるようになっていた。後押ししたのは、ある雑誌の創刊とMTVの日本上陸だった。
1984年に創刊された、日本初のHM/HR専門誌BURRN!。LAメタルと呼ばれる大きなムーブメントの到来の真っ只中での創刊だった。創刊号の表紙でオジーの隣におさまっているのは、Jake E Lee。当時のシーンを象徴する一枚。
MTVは、小林克也のベストヒットUSA、ソニーミュージックTV、ミュージックトマトなどと並んだ形でいわゆる洋楽番組として登場したように思われたが、最初からHMシーンのトップランナーたちもレコメンドし続けたところが、ビルボード寄りの他の番組とは一線を画していた。中でも僕らの心を鷲掴みにし、バンド結成へと弾みをつけたのは、Twisted Sisterだった。
1985年3月、人気絶頂期の彼らが日本で初来日コンサートを行った。それは、同時に僕が観た最初のロックコンサートだった。
Twisted Sister / We’re Not Gonna Take It
プロモーションビデオから飛び出したままの彼らの凄まじいステージに圧倒された僕らは、バンド結成の決意を固くする。そして、中3になり、池田先生にある相談をもちかけた。
「先生、音楽室にドラムセットを入れてくれないか?俺たちバンド組みたいんだ。」
先生は少し考えた後、ゆっくりとうなづいて「わかった。何とかしよう」と言ってくれた。実は、先生はポケットマネーでドラムセットを買う決意をしてくれていたのだ。僕はこのことについての感謝を今まで忘れたことがない。
そして、バンドのメンバーが最終的に決まり、器用なムコシンはドラムに。ベースはミザセン、ボーカルはミツヒロになった。僕はギター担当になった。『どうせ弾けるわけない』から始まって、ここまで来た。実はこのとき、間違えて我が家にやってきたYAMAHAのフォークギターが大いに役立った。フォークギターならロックギターも練習できる。タブ譜というのをみながら、寝るまで、いや半分寝ながらでも練習した。弦が太いから指先もどんどん固くなる。弦の交換もやっとこさっとこだったが自分でできるようになり、もうサビサビじゃない。近所のレコード店でピックを1枚だけ買って準備万端だ。
いよいよバンドで合わせようとなると、フォークギターじゃやっぱりできない。エレキギターは流石にその辺にはなく、数学の山本先生がTokaiのテレキャスターを貸してくれた。こんなサポートも忘れられない。ものすごーく嬉しかった。(山本先生は大学生の時、戸川純とバンドをやっていたと言っていた。楽しい先生だった。)

Tokai のテレキャスター。国産でも名器と名高い。写真はイメージ。
受験勉強そっちのけで、昼休み、放課後と音楽室、音楽準備室をジャックして練習した。バンド名は、その頃の旬なアイドルタレント、斉藤由貴から「Melted Snow」と名付けた。

一橋大学の学園祭にも行ったりした。
ギターのあのかっこいい音を出すにはエフェクターというのがあるんだそうだとか、色々調べたりしながら、毎日は楽しくあっという間にすぎていく。
そんなある日、池田先生が僕らにすごい話を持ってきた。
「昭島市民会館の小ホールで3月に青少年フェスティバルというイベントがある。お前ら、出演するか?」
僕らは二つ返事で「やる!やる!やります!!先生、神様、お願いします!!!うわぁお!!!」
これは、もう受験どころじゃなかった。
とはいえ、無事に高校にも合格。お袋がなんと合格祝いにエレキギターを買ってくれると言った。飛び上がるほど嬉しかった。

高2くらいかな。フェルナンデス King V。米国製Jackson King V のレプリカ。実はすごく高かった。
そして卒業を間近に控えた3月。Melted Snowは初ライヴを敢行し、メンバーはそれぞれの高校へ。バラバラになった僕らが再びライヴをやることはなく、事実上の解散となった。
その後、池田先生のギター教室でギターを習っていた連中がどうなったか分からないが、あれから30年近く経った今も僕はギターを弾き続け、自分が日々成長していくのを楽しんでいる。
人生、何がきっかけになるかわからない。
というわけで、長々お付き合いいただきありがとうございました。これでギター少年とギターとの出会いの話はおしまいです。最後は貴重な映像でお楽しみください。笑っちゃうほど下手ですが、本人はすっかりその気になってます。
<Special Thanx>
この映像は、中学時代の友人ウエッチが当時の映像をDVDにしてくれたものです。それを僕がYoutubeに上げました。ウエッチは兄貴からベースを借りてくれたり、当時も色々と協力してくれました。今回、この話をブログに書こうと思ったきっかけになった映像です。この場を借りてお礼を言います。どうもありがとう。<Caution!>
3曲演奏しています。1曲目のShout At The Devil / Motley Crue は、原曲のチューニングが半音下げなのですが、知らずにタブ譜だけみて、レギュラーチューニングで演奏していたため、ボーカルの音が全然合ってません。ミツヒロの名誉のために言っておきます。2曲目、Leader Of The Pack、3曲目は先出のWe’re Not Gonna Take It 、ともにTwisted Sisterの演奏をコピーしました。<Behind the Sheen>
メンバーみんなで原宿に衣装を買いに行き、駅前テント村で不良に囲まれカツアゲされそうになるという事件も起きました。今となっては楽しい思い出です。
「6-3-2-3-1-3-2-3、 5-3-2-3-1-3-2-3…」
呪文のように唱えながら、制服のズボンを指で爪弾く。
「はーるをあいするひーとーはー♪」「イーマイナー、エーマイナー…」
池田先生が最初に教えてくれた曲は、四季の歌だった。全然ロックじゃないが、このシンプルな曲が全然弾けない。けれど、池田先生は最初の法則だけ教えると、あとは何もしてくれないし言ってくれない。友だちが弾くのを見よう見まねでやるだけだ。
ところで、先生は教え方が実に独特な人で、ギターだけで無く普段の授業の時も、例えば何らかの「法則」を伝えて、あとは生徒まかせというスタイル。冒頭部分の「6-3-2-3-1-3-2-3、 5-3-2-3-1-3-2-3…」は、ギターを爪弾く右手のフィンガリングのこと。これを音とともに伝え、あとは何もしない。
他にもアメリカ音階、ドイツ音階、和音階を一発で理解できる「エライ(『A』と『ラ』と『い』は同じ音、あとはスライドするだけ)」の法則。「君たち、難しく考えなくて良いよ~、エライの法則だけ覚えれば、すぐわかるからね~」とこんな調子で伝えるとあとは放っておく。(このエライの法則は本当に良く出来ていて、今現在も僕が考えるときのデフォルトになっている。)
こんな感じで、入口以外なにも教えてもらえず、あとは自力で取り組むしかないのだが、これがかえってはまるきっかけになった。頭の中を同じフレーズが何度もリフレインする。授業中も、通学中も、水泳の練習中も、寝るときまで。いつだってギターのことを考えていた。
そういえば、それだけではない。何もしてくれない先生は、僕がギターを今も弾き続け、なお夢中でいられる理由でもある。なぜなら、先生は僕のギターを褒めたり、けなしたりしなかったから。つまり、決して評価しなかったのだ。「出来る、出来ない」という他者からの評価におびえ、いつも取り組む前にあきらめていた少年にとっては、これは何より価値があったことだったと今になって思う。(先生、本当にありがとう。)

こんな子。髪は伸びてる。中3。
さて、クラッシックギターは、知っている人は知っているが、いわゆるガットギターというやつで、指で爪弾くのに適する構造でネックが太い。(参考-ヤマハ)だから、ロックを弾くなんてとんでもないのだが、今を懸命に生きる中2の僕にとってはどうでも良いことだった。
その構造ゆえに、ロックだとか、バンヘイレンだとかとは全く無縁のもの。音も柔らかくて丸くて、エッジの効いたハードロックのギターとはまるで違う。でもこの先にそういうものがあるに違いないと、勝手に思い込んで、知らず知らず夢中で練習していた。
これもクラッシックギターあるあるだが、習い始めて一年経っている連中は誰もが知るある名曲へと進んでいる。そうインストのあの曲だ。
トップを走るムコシンは、もう2番のフレーズを練習し始めていた。これは悔しかった。しかも「小指」から始まる。個人練習しないと追いつけない。
ある日学校から帰った僕は、お袋にあるお願いをした。
「ギターが欲しい」
池田先生のギター教室に行き始めたことも伝えてなかったから、お袋さんはちょっと戸惑い気味に「どういうのが欲しいの?」と聞いた。
「木でできていて、真ん中に穴が空いてるやつ。」「いきなり買うのはどうかと思うから、知り合いに聞いてみるよ。」「わかった。頼む。」
思春期の男の子が、母親に多くを語ることはない。だが、この短い会話のほんの少しの間違いが大きなきっかけになった。
「知り合いのおばさんが、もう使わないからあげるって。」
家に待望のギターが来た!これで、ムコシンに追いつける!早速、練習だ!
と、学校にあるギターと同じ感じで弾き始めると、『オヤ?何かが違う。これ、弦が錆びてるぞ。クラッシックギターは、ナイロンだから錆びることないのに…』
お袋がもらってきたのは、フォークギターだったのだ。でも、仕方ない。これで練習を始めた。サビサビの弦で指が痛い。クラッシックギターと全然違う。血が出そうなぐらい痛かった。
夢中になると面白いのは、そもそも何がしたかったのか忘れることかもしれない。もうロックどころではなく、四季の歌を弾くことが最大の目標になっていた。サビサビ弦と格闘の末、再びお袋さんの前に立った僕はダメ元でこう言った。
「違う。これじゃないんだ。もっと弦が柔らかくて、鉄じゃないやつが欲しいんだよ。ボディが小ぶりでネックの太い…」「あーそう。わかった。聞いてみるよ。」
あるところにはあるもので、同じおばさんがクラッシックギターを持っていた。一昔前にフォークブームがあって、そこいら中にギターを練習した人がいて、あちこちで廃品回収行きか、物置行きになっていた時代だったらしい。
ギター教室の看板が電柱や踏切に貼ってあるけど、教室がどこにあるかは誰も知らない時代。僕は一気に2本のギターを手に入れた。
とにもかくにもこれで何とかなる。さぁ、練習だ。 ギターの音色はとても心地よく、とにかく四六時中弾いていた。ベッドに横になり、弾きながらそのまま寝てしまうこともしばしば。ギターを抱きながら少年が見た夢は、憧れのギタリスト、ナルシソ=イエペス….だったのか。あれ?
<最終回へ>
「なんだか、カッコいい音楽を知ってるんだね」昼休みに話しかけてきたのは、クラスでも選り抜きの優等生ムコシンだった。
ムコシンは、ちょっと気取り屋だが、勉強も体育もできるクラスのリーダー的存在だ。俺とはタイプが全然違う。2年生になって同じクラスになったが、まだ口は聞いていなかった。彼も音楽にはこだわりがあったようだが、洋楽ヒットチャート止まりで、音楽の時間に彼が用意したレコードはカルチャークラブだった。
「澤田が持ってきたレコードのあの曲、あのバンド、俺、全然知らないんだよ。」
『どうせ、ウルサイ音楽だ。坊主の俺がかける曲なんか興味持てないに決まってる。全く面倒なやつだ。』心の中でそんな風に思いながら、輸入版のレコード屋の袋からおもむろにリリースされたばかりの”Van Halen / 1984” を差し出した。
「これ、誰?初めて見たよ!このジャケット!俺、カルチャークラブとかデュランデュランとか好きなんだ!」
「ああ、知ってる。俺も聴いたことあるよ。でもあんまり好きじゃないんだ。俺が好きなのはこういうやつ。」頭の中の『知ってるよ。あのガキどもがキャーキャー言いながら聴く音楽だろ。』という罵声をかき消しつつ精一杯の愛想を振りまいてそう答えた。
「この音楽のジャンルって何なの?」「これ?これはハードロックだよ。」優等生のムコシンは俺に真っ直ぐな目を向けて、「色々教えてくれないか!?頼む!」全く青天の霹靂だった。悪い気がしなかった僕は「もちろんだよ。」と早速、ためにためていた知識をお披露目した。
意気投合した僕らは、お互いの家を行き来する仲になる。そんなムコシンが今一番ハマっていることそれが…
「俺、池田からギター習ってんだ。」
『ああ、何てこった…マジか…。折角、俺の方がちょっと優位に立ってたと思ってたのに…。』
「あ、そうなんだ。それはすごいね。俺、そういうの、ほら、苦手だからさ」
帰ってきた彼の言葉は、残念なことに俺の予想を全く超えないものだった。
「澤田もやろうよ!」
死神にとりつかれている僕は何度も断る理由を考えた。本当は断るに十分な理由も僕にはあった。小学生の時に左手の小指を切断する大怪我を負ったことがあり、どうしてもうまく動かすことができなかったのだ。ギターを弾くにはハードルが高すぎる。でも、そのことを友人には怖くて言えなかった。
「考えとくよ。」
水泳の練習から帰る電車の窓に映る自分を見ながら、流れてくるハードロックのカッコいいギターを聴いていた。『ホントは死ぬほどギターが弾けるようになりたい。Eddie Van Halenにはなれなくても、サイドギターでも何でも良いから弾いてみたい!』心の叫びは止められなかった。体が不自由なことなど、どうでも良かった。僕の心の中にある音楽への思いが決壊した瞬間だった。死神はもうどこかへ行っていた。
次の日の放課後、ムコシンに連れられた俺は音楽室にいた。クラッシックギターを手にした生徒たちがそれぞれに練習している。
池田先生は、俺に一本手渡し「ようこそ」と言った。初めてギターを手にした瞬間だった。あの感動は今でも覚えてる。
<その3へ続く>
僕がギターを弾き始めた話を少し。初めて手にしたのは14歳、中学2年生のころでした。

池田邦太郎先生が、音楽室で昼休みにギター教室をやっていたのは、もう一年も前から知ってた。池田先生は、NHKの子ども向け音楽番組に手作り楽器を紹介したりしていたので、ちょっと名物先生でもあり、不良の生徒にも理解ある優しい先生だったのだが、そんな噂を耳にしても行くつもりはなかった。
理由はいくつかあったのだが、全て言い訳だった。要は、『どうせ俺なんかにできる訳がない。』という諦めだ。このマインドはいつだって、どこだって、なんだってついてまわる死神のようなやつだ。運動会でのかけっこも、鉄棒も、絵も、その時がんばっていた水泳でさえ、そう思っていた。
でも、本当はギターを弾けるようになりたかった。その頃はもうロックにどっぷり浸かっていて、お年玉で買った愛用のウォークマンから流れる激しいギターの音に心ふるわせていたものだった。
中学2年になり、音楽の担当が池田先生になった。「君たちの好きな曲、なんでも構わないからレコードを持ってくれば、一曲授業の頭にかけてあげる。遠慮なく持ってきなさい。」僕は飛び上がって喜んだ。クラスの連中にハードロックをお見舞いしてやる。坊主あたまの少年はレンタル店でハードロックのレコードを借りて持参した。最初の一枚は伊藤政則氏も推薦の ”Scorpions / Love at First Sting”。かけてもらったのは一曲目の”Rock You Like A Hurricane” ミディアムテンポの重厚なリズムと、冒頭からいきなりくるツインギターのハモりも印象的な曲だ。

クラスの子たちが誰も知らない曲。僕は得意満面だったが、反応は異様に薄く、むしろみんながクスクスしているような気がする。「坊主でロックなんてね…」「なんだかウルサイ曲だね〜」ムキになればなるほど孤立していくような感じだった。
<その2へ続く>