「自分」というもの。これについてちょっと整理しないと、何をしたいのか、何が自分に出来るのか、良くわからなくなってくる。なので、一度整理してみようと思う。
ここで重要なのは、空間的階層の導入。
一つ目の階層は、自分と家族を含む個人的な問題。フクシマ事故について憂う気持ち(原発再稼働・放射能災害について)は、個人の問題。だから、基本的に何も今は出来ない。正確な情報を基に、どうするかを考えるだけ。投票行動も個人的な問題。
二つ目の階層は、自分が直接関係する人の利害がおよぶ問題。僕的な解釈では、仕事上のスタッフ・顧客、バンドのメンバー、家族間の問題、つまり、仕事やバンドでの音楽活動。普通はここが軸になって日々の活動をしているので、整理の必要は基本的にない。ここは生活基盤でもあるので、お金を稼ぐことも意図する。
三つ目の階層は、自分を含む社会。但し、直接手を下せることが条件。直接手を出せないなら、もしくは、考えが及ばないなら、それは個人的な問題として片隅に置いておく。無論、ボランティア性が高く、お金を稼ぐことも意図しない。
こうして、身の回りで起こる、政治的、あるいは社会的な問題を階層別に整理すれば、自分に出来ることを絞り込んでいくことも可能だ。
例えば、『ハラスメント』について、重要な問題だと考えるとき、僕がスポーツに関わる仕事をしている時点で、僕を含む社会の問題として三つ目の階層に入っていると考える。そうすると、行動する意味もあり、改善に動くことも出来るはずだ。
それと、自分が暮らす『地域の問題』。これもそこに住居を構えている時点で、関わりが深いと考えられる。
と、いうことで。
地域×スポーツ・文化×子ども、という図式の中から何ができるか、そこから探りを入れてみよう。
うん、よし。