ヴィム・ベンダース監督のすごさ。

今日は映画の話を少し。

 

本当は映画館で観るのが、映画本来の楽しみではあると思うけど、過去の作品や、それほどメジャーでない映画を劇場で観るのは結構むずかしい。

 

そこで、レンタルDVDの登場となるのだけど、マニアックなものは、レンタルも無かったりして、なかなかお目当ての作品に巡り会えないこともしばしば。
今回は、たまたま行きつけではない地区のお店に行くチャンスがあり、以前から観たかった作品を探し当てたので、ちょっと書きたいと思う。

 

 

僕が世界中で最も愛する映画監督である、ヴィム・ベンダース(以下WW)監督の1976年の作品だ。

 

あらすじを伝えることは、彼の作品では、ほぼ無意味だと思われるので、ここでは割愛する。簡単に僕の主観で言うと、「イージーライダー」をオマージュとした、WW流ロードムービーというところだろうか。

 


ロードムービーの良さについては、人それぞれ違う感想を持っていると思うが、僕は、どの作品であっても、ほぼ、オールロケで撮影され、そこにある「空気感」を伝えようとするという点にあると思っている。

 

彼はそもそも、数多くのロードムービーを撮影してきた。その手腕は、誰も疑う余地はない。詩的で、哲学的で、ヒューマニズムに溢れていて、素晴らしい作品ばかりだ。

 

しかしそれだけでは、他の監督のロードムービーと大差なく、最も大切な「空気感」までは伝わらない。先にも挙げた「イージーライダー」は確かに名作だが、シーン毎のインパクトと「空気感」という意味では、僕の評価はそれほど高くはない。

 

そこでWW監督のすごさの登場である。

 

彼はその空気感を、モノクロであっても、カラーであっても、幾何学的な切り取り方で、観る者に強いインパクトを与え、見事に伝える。

 


「さすらい」では、後の作品でも何度も目にするその手法が見事なまでに使われていた。

 

空間をそのまま、スクリーンに映し出すことはほとんどせず、「電線」「電柱」「窓」「鉄骨」など、直線的なオブジェを色々な角度で配置することで、そこにある「空気感」を表現する。物憂げな雰囲気、明るい兆し、悲しみ。劇中では、スクリーンにさらにスクリーンを映し、それを影と直線で表現するという場面をも披露してみせた。

 

映画の中で流れてしまえば、どうということのないシーンかもしれない。ところが、画像で貼り付ければ、そのインパクトに目を見張るばかりだ。

 

ラストシーン間近の非常に印象的なシーン。先の無いこの鉄橋の上で、彼は何を考えるのか。

 


個人的には、そういったオブジェの中でも一番好きなのは「電線」である。おそらく自然すぎて、あまりキャプチャーにもなっていないと思うが、(残念ながらネットでも見つからなかった!)その電線越しの空は、まさしく、僕が子どものころ車窓から見たそれなのだ。

 

そう考えると、WW監督のレンズは、子どもの無垢の心であるかのような気もする。狙った芸術性ではなく、子どもが持つ感性そのもののような。

 

そして、それに関連するとも思える、忘れてはならない重要な小道具がある。それが昆虫である。(これもキャプチャーには無かった。)

 

「ハエ」や「チョウ」が時々映像に自然に映り込む。昆虫なので狙って配置できるような代物ではないと思われる。しかし、この小道具達は、瞬間的にドキュメンタリータッチにしたり、幻想的なシーンにしたり、あらゆる効果を助けている。

 

これらを、まるで子どものような感覚で僕は常に捉えてしまう。ハッとすると、そこに自分がいるかのような錯覚を起こすこともあるくらいなのだ。「さすらい」でも気づいた限り、「ハエ」は4~5回、「チョウ」は1回登場した。

 

これらを、ごく自然に映像化する、WW監督の作品は、僕の心をも捉えて放さない。そのすごさをあらためて体感した夜の話であった。

 


秋の夜長に映画の話。まだWW監督を未体験の方は是非、ご覧頂ください。まずは、”ブエナ★ビスタソシアルクラブ”あたりからいかがでしょう?僕は、もう一度”東京画”を観たいと、書きながら思いました。
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