民族的アイデンティティをいとも簡単に捨てられる日本人

今のアメリカが建国される前のアメリカは、アメリカインディアンと現在は一つの呼称で呼ばれる様々な民族が、独自の言語、独自の宗教、独自の経済を持つ独立国家として、大小様々に分布している地域であった。

そういう意味では、明治以前の日本も似たようなものであったのではないだろうか。

アメリカは、その国々を、軍事力と経済力で駆逐した結果、彼らをリザベーションに追いやることに成功した。ただ、民族性は一部を除き、取り去ることが出来なかった。


アメリカインディアンのダンスによる祭典、パウワウ。現在では様々な民族間の平和的交流として定期的に各地で行われている。それは、彼らが、その誇りである「アイデンティティ」を失わないためでもある。


一方、白人のプレッシャーを受けた日本人は、どうしたか。なんと、一斉にちょんまげをやめ、刀を捨て、洋装になり、白人に倣うこと、つまり別の民族になることを自ずから選んだ。(選ぶことができたとも言える。この選択は、世界の歴史から見れば、一種異様な気がするのは僕だけではあるまい。)

その結果、僕ら日本人は、近現代において「アジア人」という枠を一度も経験せずに、「準白人」の様な立ち位置を『勝手』に手に入れた。先の大戦でアメリカに敗れ、彼らを国家的に受け入れたのち、さらにそれは加速し、現在の「アジア人でありながら、白人と同じ行動を積極的にする」特殊な人種を形成するに至っている。

この類稀な柔軟さは、うまく物事を運ぶための環境適応力であったり、調整能力であったとも言えると思う。それこそが、現在の日本の平和と繁栄をもたらした大きな要因ではないだろうか。


今、アイデンティティという問題がそこら中で語られているけれども、『アイデンティティを即座に捨てることができるのも日本人のアイデンティティ』であるということは、憶えておいて損はない。僕らは、そういった立居振舞をなんの臆面もなくすることが可能な稀な民族の子孫だ。

現在まで続いてきた、アメリカ的資本主義の価値観を捨て、次の時代へ柔軟にシフトすること。

このムーブメントが世界中で、確実に起こり始めているからこそ、過去の価値観にとらわれている人々がアイデンティティを声高に叫び始めているのではという推論は、あながち間違っていないと思う。

ヨーロッパの国々はもう動き始めている。アジア諸国も然り。

日本だけ旧態依然とした価値観にしがみついているならば、再びよからぬ事態に陥るだろう。そしてようやく気がつくのか。日本人という民族には、そもそも存在しないアイデンティティのバカバカしさに。

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