1997年5月。僕は日比谷野外音楽堂の裏手あたりを歩いていた。
1990年から毎年毎年楽しみにしていた「ジャパンブルースカーニバル」という音楽イベント。この年の大トリだった「B.B. King」の演奏にノックアウトされ、興奮を少し冷ますために散歩していたのだった。
通い詰めて7年目。そろそろBLUESも耳に馴染んで来たはずであったのに。
僕の浅はかな知識など、どこかに吹っ飛んでしまうGenuine BLUES。それが、B.B. Kingだった。
BLUESの巨人が奏でるギターのチョーキング音が、夕暮れ迫る野音に圧倒的な存在感とともに鳴り響く。耳ではなく、胸の奥へと直接届くようなそんな音だった。
浴びるように飲んでいたミラービールの酔いもあってか、心地よい時間と空間を堪能した僕は、そんなことを繰り返し考えながら、ぶらぶらと野音の周りを当てどころもなく歩き、ステージ裏へとたどり着いたのだった。
するとそこに、レコードとマジックペンを握った二人のおじさんが立っていた。
それが何を意味するのか、たちどころに理解した僕は、彼らとともに待つことにした。そうkingの出待ちだ。
10分ほど待っただろうか。いや、もっとだったかもしれない。一台の黒塗りのリムジンが僕らの前を横切り、内幸町の交差点方面へ。もちろん、止まってくれる気配はない。
レコードもペンも持たない僕は、考える間も無くリムジンを全速力で追いかけ始めた。
次の信号は赤だ。必ず追いつける。あんなに飲んでいたのに、人というのは、ここまで走れるものか?いや、若さゆえか。
やっとの思いでついにリムジンに追いついた僕は、無我夢中で、後部座席の真っ黒の窓ガラスを叩いた。
「Mr.B.B. King! Mr.B.B. King!」
うっすらと人影が見えるだけのプライバシーガラスがゆっくりと降り、その隙間からサングラスをかけたB.B. Kingの顔が見えたときは、感激で気が遠くなりそうだった。
ニコッと笑った彼にすかさず右手を差し出す。
今でも忘れることのできない巨人の手。数々の名曲を奏でてきた、その分厚い手。その温もり。
僕がそんなことをしている間に、あのおじさん達もなんとか追いついてサインをしてもらっていた。「チェッ。俺も持ってくれば良かったなー。」彼らを横目に一足先に日比谷駅へと向かう足取りは軽かった。
これが僕のB.B. King とのSweet Memoryだ。
B.B. Kingが亡くなったとの訃報を受け、そんなことを昨日のことのように思い出し、故人を偲んだ。
Rest In Peace.