奪うということ

人は自然から生命を奪い生きながらえていく。このサイクルに間違いはない。

ネイティブアメリカンは、搾取ありきであるならば、それをリスペクトし、時として返礼すべし、つまり与えよと教える。

「奪う」の対局にある言葉が「与える」。このバランスこそ、人類にとって最も大切なことであるのは、ありとあらゆる宗教の教えが証明している。

forgiveとは、「許す」という意味だが、語をバラバラにしてみれば、『ある方向に向かって「与える」』と言う意味だと考えると、「奪った」から「与える」という図式=許しと考えるのが妥当だと思う。

人間の社会が「奪う」ことでドライヴしている以上、この「与える」という行為はセットでなければ、バランスは著しく崩れてしまう。

この倫理観を持たねば、我々はどんな政治的な議論をしても結局は元に戻ってしまうのじゃないか。ここのところの読書や映画から学んだのは、つまりこういうことだ。

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