数値化されるもの、されないもの。効果が目に見えるもの、見えないもの。
高度な言語を駆使する人間って動物は、それ故に本来なら線引きが容易なものまで混同してしまうことがある。
言うならば未来を予想するということも本来なら数値化できるはずはないのだけれど、世の中がそれによって動いているのは間違いないだろう。
でも、僕はあえて言いたい。バランスの取れた線引きをしよう、と。ここは情、ここは契約。ここは思い、ここは数字。
森友学園事件は色々な問題を提起していると思うが、その多くに、主義・主張と社会の約束・契約の混同が見られるように思う。まさに「忖度」という言葉に象徴されるように。
日本は極めて進んだ資本主義の国ではあるけれど、正当な手続きを担保とすることしか成立しえない民主主義という社会のシステムにおいては、全く進歩がみられないというべきなのではないだろうか。