日本選手権前日練習

明日から始まる日本選手権の前日練習に行ってきました。

横浜国際プール。久しぶりに会うコーチたちが多くて、ちょっと嬉しかった。本番は明後日です。

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アニメ版あしたのジョーのこと

オススメの漫画はなに?と聞かれれば、真っ先に思い浮かぶのが「あしたのジョー」だ。僕が読んだ時はもう連載が終わっていたから、時代感とか世代感は少し異なるのだけど、単行本を何度読み返したことかわからないほど、大好きな作品だ。

「あしたのジョー2 」というアニメが始まったのは1981年7月。僕が小5の時。もう40年以上前のことだ。当時の僕はすでに漫画は読み終えていて、大好きな作品がアニメになると知り、茶の間で放映時間を楽しみにしていたものだった。けれど、アニメがなんとなく苦手な僕は、それ以来、あしたのジョーのアニメ版を遠ざけて生きてきた。漫画の世界観が壊れてしまうのが嫌だったのかもしれない。

先日、ふとしたタイミングでAmazonプライムにアニメ版のあしたのジョーがあることに気がつき、観出したら、これが面白い。アニメ版だけのキャラクターや、漫画では描かれていないストーリーが散りばめられていて、とても充実している。こうして改めて観てみると、1970年のアニメは、力石徹との死闘までを主軸としていて、ちょっと子どもっぽく、現実離れした感じを受けるのだが、1981年のそれは、もっと大人っぽく、リアリティを感じられる作りになっていて、僕が好きな力石徹戦後のストーリーを上手く、丁寧に描いてくれているのだな、ということがよくわかった。

先述したが、アニメが苦手なので、作品のクオリティとかあまりよくわからないのだが、あしたのジョー2はすごくよくできている気がする。漫画では描ききれない光とか水面とか、40年も前のテレビアニメとしては、革命的だったのではないだろうか。主題歌もそれまでのものと違い、洗練されていて、とくに後半のシリーズのブルーズ調のテーマソング(Midnight Blues/荒木一郎)は、子ども向けアニメとは思えない曲で、すごくカッコいい。

と、ここまで書いていつもなら、「オススメです!ぜひ!」みたいに終わるのだが、テレビ版は70年版が79話、81年版が47話と全部観るのにはかなり時間がかかるので、好きな人だけにオススメしたい(w) 僕は現在のところ、あと2話で見終わってしまうのですが、2週間かかりました。

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冬の朝のこと

5:00。腕に巻いているApple Watchのバイブレーションが目を覚ます合図だ。「あれ?今日は果たして何曜日だ?」iPhoneのほのかな光を頼りに、体を半身ほど持ち上げて、大きく伸びをし、スッキリしない頭の中を整理するために、Twitterで浮世の出来事を斜め読みする。洗面所から、まだ真っ暗な外の世界へ。凍てつくような寒さで、車のボディはまるで氷の塊だ。エンジンに火を入れ、一度屋内へと戻り、いつものヨーグルトで体の中も起こしてやる。

5:30。水温計のランプが消えた頃、ゆっくりと暗闇の中へ車を滑らせる。毎日、街道を走るバス、今日は先を越された。こいつの後ろを走ってると時間に間に合わない。乗降中を見計らい、追い越す。これで勝負あり。「また、明日」とバックミラー越しにバスに別れを告げた。

5:45。いつも立ち寄るコンビニでコーヒーを買う。淹れたての熱いコーヒーを片手にさらに街道を東へ。車はまばらで、ストレスは無い。Apple Musicでダウンロードしたクリスコーネルのアルバムに耳を傾け、彼はなぜ死ななければならなかったんだろうと少し考える。

6:00。東の空が明るくなり始めるころ、大学に到着する。プールの電灯はまだついていないから、生徒たちはまだ来ていないようだ。建物と建物の間から金星が顔を覗かせる。朝を待つ東京の神秘的な時間、マジックタイム。今日一日をどう過ごすか。朝練の後は波乗り?それとも映画にするか?楽しみは尽きない。いやいや、それよりまずは朝練だ。さ、一日が始まる。

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講師の仕事

毎年のことで恐縮ですが、今年も水泳教師資格講習会の講師をしてきました。少しでも皆さんのお役に立てればと思ってお話ししましたが、うまく伝わったでしょうか。

就職するのもなかなか大変な時代ですが、より良い楽しい人生になることを祈っております。

というわけで、せっかく東陽町まで来ましたので、吉左右でラーメン食べて帰ります!!

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アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か?

2014年9月、千葉県銚子市の県営住宅で起きた痛ましい事件を覚えている人も多いと思う。家賃の不払いによる強制退去日に母親が中学生の娘を絞殺し、無理心中を図った事件だ。

報道では、行政の責任を問う声も多かったし、僕も真っ先に生活保護制度のことが頭に浮かんだのだが、一方で、根本的な問題として、女性が置かれている立場がなぜこれほどまでにひどいんだろう、社会はなぜ「勝ち組負け組」で構成されているんだろうと、考えるきっかけになった事件だった。

アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か? ; これからの経済と女性の話 https://www.amazon.co.jp/dp/4309300162/ref=cm_sw_r_cp_api_glt_i_1PQ1XAA9SBKMN1C24H3Y

本書は、そういった問題を女性を抜きにして語ってきた経済学に起因するとし、様々な角度から筆者なりの視点で深掘りする。語り口はあくまでも軽く、読みやすいが、その論調は非常に鋭く、重く受け止められるべきものだ。

ところで、子どもに水泳指導をしていると、平日の観覧室は女性(お母さん)の占める率が非常に高いことがわかる。ごくまれに男性(お父さん)が来ているのを見かけると、僕はなんの気なしに「今日はお父さん、お仕事お休みかな?」と話しかけてしまったりするのだが、よく考えたら、とてもおかしい話だ。

当たり前と思っていることが実はそうではないかもしれない。このことを胸に刻んで新しい年をスタートしたい。

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明けましておめでとうございます。

旧年中はお世話になりました。

なんだか急激に日常が戻ってきたような感じで、去年はバタバタとすごいスピードで過ぎていったような気がしてます。

音楽活動は全くできませんでしたので、今年は少しずつでも戻せたらと思ってます。スポーツはひとりでやるものばかりなので、世の中のこととは関係なくかなりガッツリやりました。これは今年も続けていこうと思ってます。その他のことは焦らずいつも通り、自分らしくあれば。です。

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正しさとか、正しい言葉とか。

自分の正しさを証明しなければならない場面ってどのくらいあるのだろう。僕は自分の言葉や会話の中にそれを認めることはほとんど無いのだが、人によってはそればかりの人もいる。あえて言うなら「自分以外の他人は間違っている」と考えている人は、正しさを常に意識して日々過ごしているのかもしれない。では、正しさってどう証明されるのか。

僕は物心ついた時から、非論理的な言葉やルールを許さないという姿勢を貫いている。なぜだかはわからない。学生時代は長髪だった時期が長いのだが、例えばバイト先で「髪を切れ」と言われると理由がはっきりしないのにそんなことを言われるのはおかしいと考えるので「ではやめます」と即答していたが、今でも間違っていないと思う。僕はそういう「トラブル」は〇〇的(日本、学生、社会人、男子、女子、属性を表す言葉ならなんでも当てはまります)正しさという裏付けのはっきりしない非論理的な言葉の押し付けから来ていると考えている。江戸時代は丁髷だったのに日本的とはこはいかに。となぜみんなは考えないのだろうか、不思議でしょうがない。ひとつひとつ検証してこなかったこと、みんながそうなんだからそうなんだで片づけられてきたこと。そういうものが原因なのではないだろうか。

でも、こういう態度は、不遜とか、生意気とかということで片づけられてしまうことがほとんどだ。そりゃそうだろう。そもそも論理的に説明できる人などいないのだから。彼らは大声で「ルールはルールだ」と身も蓋もないことを言うだけだ。でも、これは支配的な関係性の中だけで成立するので、立場が変わると全く通用しなくなる。だからこそ、あえて考えてほしいのは、相手を糾弾できるときはそうでも、それが通用しない状況で自分の正しさを証明するとなったら果たしてどうするのかということなんだ。

話はそれるが、日本語ではなんとなくやり過ごしてしまう文法も、あえて英語で学ぶととても論理的だなと思ったりするものだ。母国語ではない英語を体系的に学ぶために、色々な用語が用意されている。人によってはかえって覚えにくいということもあるかもしれないが、整理するためには良いところも大いにあると僕は思う。自分と他人、能動と受動、など様々な角度や方向でコミュニケーションは成立しているんだということを理解しやすい。逆に言えば、こういうことを考えずに喋れてしまう日本人にとっての日本語は、論理性も低く、議論するのが難しいとも言えないか。自分の正しさを自分の方向から証明してしまおうと相手の意見に耳を傾けず、自説だけをベラベラと捲し立てている人たちが散見されるのは、あるいはそういうことではないだろうか。

言葉や会話を論理的に整理できれば、混乱やミスコミュニケーションも少なくなり、人間関係も整理されると常々考えている僕としては、ワーワーと自分の正義だけを喚き立てる、あるいは、それを第三者としてそのまま広めたり、非論理性を明らかにしないまま、次の議論に移っていったりすることは、全くもってけしからんと言わざるを得ない。自分の正しさを証明するのであれば、自説に誤りがないか点検し、相手の意見や第三者の意見に耳を傾けた上で、客観性と論理性を持って証明すべきなのだ。スタートラインが「自分は正義だから間違えるわけがない」というのでは、証明などできっこない。そしてそういう類の人間は無意識に他人を傷つける、あるいは不愉快な思いをさせることが多いと僕はそう認識している。

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波乗り楽しい♡

この秋は良い波に出会えるタイミングが多く、とても楽しい。わざわざ自分で自分を撮影したりはしないけど、確実に上達してるのがわかる。ランニングや陸上トレーニングに取り組むのも上手くなりたいって気持ちが相当大きく影響してる。50を過ぎてもまだまだやれる自分でもいたいしね。

ただ、両足つるのだけは勘弁して。めっちゃ痛い。睡眠時間とか影響してるんだろうなあ。

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イチゴの味のヨーグルト

そのヨーグルトを宅配してもらうようになって、何ヶ月か経った。

しばらくコンビニで買って食べていたのだが、店頭には並んでいない「イチゴ味」がいまだ現存していることを知り、懐かしくてどうしても食べたくなったことが発端だ。

調べてみると、街でよく見かける制服を着て原付バイクに乗っている女性が自宅まで運んでくれるシステムを利用すれば、またあの味にたどり着けるということだったので、頼んでみることにした。こういう時にインターネットというのは実に便利だ。

玄関先で直接受け取るのもなんだか億劫だなと思っていたら、簡易クーラーを介しての受け渡しもあるという。無理に笑顔を作ったり作られたりする面倒が省けるのでそうしてもらうことにした。

届いたのは、緑色の蓋のついた角のないクリーム色の簡易クーラー。主張しないように考えられたのかもしれないが、妙にぼやけた色、形が、むしろ、際立ってしまって、風景と全くマッチしない。まあでも、仕方あるまい。

一週間に一度、決まった曜日に7個。3種類の味が混ざって届く。「イチゴ味」はそのうち2個だ。

しかし、それはそれで厄介で、クーラーをうっかり玄関先に出しておくことを忘れてしまったりして、スムーズには行かない。それでも、そのヨーグルト自体は好きだし、子供の時代を思い出すようで、飽きもせず毎日食べている。

ヨーグルトが体に良いとか悪いとかそういうことはどうでもいい。

早朝、家を出る前に一つ。蓋の裏側についたのもしっかり舐めて、キレイに食べてから出かける。あれは不思議だが、味によって、蓋についたりつかなかったりするんだ。同じ味のものにほぼ個体差はないのに。どういうことだかいつか突き止めなくてはならない。

そうそう、一日に二つ以上食べてはならないという独自のルールがある。実はそのせいで、何度かこの周期を繰り返すうちに余りが出て、冷蔵庫のストックは二つになってしまった。

一日一つルールを特に誰かに宣言したわけではないから、破っても良いのだろうけど、こういう性分がそれを許さない。そういうものが僕には他にいくつもある。何かをするときの順番とか、あげるとキリがない。ルーティンみたいなものだ。それなのにクーラーを出すのは忘れる。どういう訳なんだろう。

あのクーラーの形や色や存在感が、どうしても嫌だからかもしれない。あれをデザインして採用したやつの気が知れない。まだ昔の牛乳箱の方が魅力的だ。黄色くて赤い字で玄関や門にくくりつけてあった斜めの蓋のあれだ。あの蓋を開けるときの高揚感が良い。当然入ってるんだけど、もしかしたら入ってないかもしれないと想像するあのひと時が。あれが良い。

こんな風に最近すぐ感傷的になる。50を過ぎてから余計にそうだ。イチゴ味のヨーグルトも小学生のとき、お婆ちゃんがよく買ってくれたものだ。

真っ赤な彼岸花が風に揺れている。

もうすぐお婆ちゃんの命日だな。

お墓参りに行かなくちゃな。

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R.I.P. Charlie Watts

本当にありがとう。あなたのドラムは、僕の大切な青春の1ページです。

The drummer thinks that he is dynamite, oh yeah!

If You Can’t Rock Me / The Rolling Stones 1974

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