こんにちは!みなさん。いよいよ新年度が始まりました!すっかり陽気もよくなり、気分も晴れやか!
ライヴのスケジュールも更新!春のツアーも決まってまいりました。重いコート脱いで出かけませんか?▶️ https://ken1sawada.com/event/
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好きな音楽がある。好きな音楽を共有できる友だちがいるとき、とても幸せな気分だ。でも、嫌いだという人もいる。そういう人に強要はしない。
気分が悪くなる出来事がある。でも、それが同じように誰かの気分を害するわけじゃない。だから、それを共感してほしいとは思わないし、強要はしない。
そんな風に僕らの社会は色々な考えの人がいて、簡単に分かり合えたりしないものだ。(それをどうこうしようなんておこがましい考えは僕には無い。議論は大歓迎だけど。)
社会はこんな風に成り立ってる。これが大前提。だからこそ互いに納得がいく共有のルールが必要になる。
古の時代から、このルールをめぐり、沢山の血と汗と涙が流された。それゆえ、ルールを作る人、ルールが守られているかチェックする人、ルールを運用する人と、役割を互いに尊重しつつ分けて置くことを先人たちも義務付けたのだと思う。
ところが、このルールが意図も簡単に破られてしまった。
正当な手続きを経ずにルールが変更できるほどのフリーハンドを特定の個人や団体に与えてしまって良いのか。これは民主主義において大変重要な問題なのだ。
民主主義を愚弄する行いが許されれば、自由は奪われる。あなたが放っておいた行為、うっかり目をつぶってしまったちょっとした行為はやがて大きなうねりとなって、自らの自由を奪うことになってしまうと思うのだが、どうだろうか。
人類の歴史は壁を作るところから始まったんだろう。きっと。僕はみたことがないからわからない。でもきっとそうだと思う。
その壁は目に見えない。あなたと僕を分けるための壁。壁は利益になる。壁は僕があなたより上の人間だと理解させるのにちょうどいい。
目に見えない壁にずいぶんとやられてきた。きっと有史以前から、僕らの祖先も、壁があることでやられただろう。でも、そんなものがまやかしだとようやく僕らは気がついた。
目に見えない壁は乗り越えることができないんだ。目に見えないから。だから、壁を壊すことにした。方法は簡単だ。そんなもの初めからありゃしないというだけだから。
そしたら、どうしても壁があることにしたい連中が出てくる。次から次へと。「そいつは裸の王様と同じだ!」僕らは叫ぶ。でも、周りの連中は「そんなわけない」と逆に僕らを嘘つき呼ばわりする。そしてまた目に見えない壁は作られる。
でも、身動きできないほどの壁はやっぱり壊さずにはいられない。だから、壁を壊すことにした。でも作られる。壊す。作られる。壊す…
ところが、だんだん壁ができる速度が遅くなってきていることに気がついた。そうか。我慢対決なら、身動きが取れない僕らの方に絶対的に分がある。そういうことさ。
そして今日も壁を壊す。友だちと一緒に。自由になるために。自由になろうともがいている人のために。

責任と判断 (ちくま学芸文庫) ハンナ・アーレント https://www.amazon.co.jp/dp/4480097457/ref=cm_sw_r_cp_apip_BFxGgefef8WTw
本書で語られている議論は「悪の凡庸さについて」の後に語られたものであるが、どれも大変重要なもので、僕がここ数年の間に読んだ書物の中でも際立った存在感がある。
人間の営みを「外的な評価」と「経済的合理性」だけで捉えることは大変危険なことだと僕は考えている。社会が提示するものを個人としてただ受け入れて、都合の良いものを上手に取り出すことが賢い人間の営みだとするなら、その社会は一体誰が形作るのか?
このことを端的に示すことができる人は実はほとんどいない。ある人は「民主主義における投票」だと言い、ある人は「デモに参加し声をあげること」だと言う。しかしこれらは、考える力がある人に向けられた言葉であり、実際にどう行動したら良いかを示唆する言葉でしかない。しかし、本当の問題は「社会は勝手に回っているのであり、その時々のトレンドに従い、流されて行けばよく、賢い私はその中から自分にとって最善のものを選択するのみ」という”考えることを拒否した個人”が、社会の大多数を占めるということであると僕は考えている。このことに対する明確な回答がこの書には書かれている。
人生は、コンビニの冷蔵庫から飲み物を選ぶ作業や、ファストフード店でセットを選ぶ作業とは根本的に異なる。社会、とりわけ政治においては、何も考えずに選んだ飲み物が時空を超えて、誰かの人生を変えてしまうことがあるからである。そして、その誰かとは、自分の愛する家族や、あるいは自分自身かもしれない。

今週の一冊
読もう読もうと思っていましたが、ようやく読むことができました。
国民の政府への不信感は日毎に増していっている感があります。なぜか。おそらく日本国民がアベノミクスの恩恵を実感できないからでしょう。
最もらしいネーミングや修飾語で飾られた政策ほど、眉唾なものはないと思ってきましたが、アベノミクスは、本書で指摘されている通り、詐欺まがいのトリックに近いような代物だと確信し、身の毛がよだつ思いです。
たくさんのデータ、グラフを元にアベノミクスがいかに危険なゲームであるかをわかりやすく示している良書です。ぜひ、ご一読を。

人の痛みを感じる国家 (新潮文庫) 柳田邦男著 https://www.amazon.co.jp/dp/4101249229/ref=cm_sw_r_cp_api_.dRxAbER3QMBZ
僕が僕らしく生きていくために。発見の多い一冊だった。

久しぶりのオフを満喫する。
朝から映画を2本観て、最後は大口純一郎トリオのライブ。僕の中のBLACK MUSICが煮えたぎるようだ。

まずは 2Pac。ヒップホップは詳しくないが、ラップで唯一アルバムを購入したことのあるアーティスト2Pacの自伝的映画。

そして渋谷に場所を移し、リーモーガンのドキュメンタリーフィルム。
充分ヒートアップしたところで、大口純一郎トリオ@吉祥寺サムタイムだ。

少し古い人なら誰でも知ってる。今日1/15はかつて成人の日だった。28年前の今日、今も着ているSCHOTTのライダースで式に出た。1/15はそれだけでなく、僕には縁のある日。亡くなった祖父の誕生日だ。
今日も僕は人生を満喫し、人に後ろ指さされることなく、僕らしく生きている。それは、正義に生きた僕の祖父のおかげでもあると改めて感じてる。
HAPPY BIRTHDAY GRANDAD. I MISS YOU SO MUCH.

合宿のかたわらで、今年初サーフィンもがんばってきました。
白浜はブレイクがメチャ速くて難しいポイント。今日はワイドな上にオフショアもキツくてホント難しかった〜。
でも、良いんす。下手でも何でも、波乗りしてれば、とりあえずハッピーな気持ちになれるんで。いやぁ、楽しかった。
今年はもう少しチョイチョイ行きたいなー。
、恒例の正月合宿に来ています。

下田は気候も良いし、とにかくキレイで、歴史を感じられるところ。良い気分でトレーニングができます。圏央道、伊豆縦貫道のおかげで、僕の住んでいる街から3時間で来られるようになり、アクセスも快適です。
そして何より、いつもお借りしている敷根公園プールは本当にキレイで環境が良く、スタッフの人たちもフレンドリーで最高です。
僕は、今日は朝起きられず、残念ながらサーフィンはできませんでしたが、明日からがんばろう!

みなさん、今年もよろしくお願いします。
年をまたいで、今年最初に読み終えた本はこれです。
すごく面白い一冊でした。良いスタートが切れました。
今年もたくさん読もう!いや、そんなこと言わなくても読んじゃうなぁ。
良い出会い、楽しみだなぁ!