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真っ黒に日焼けした中学生くらいの少年たちが、いつもなら会えない時間帯に自転車で颯爽と走りすぎる。
「あ~夏休みだなぁ」と思う瞬間なのだが、彼らがいったいどこに行こうとしているのかなんて、もちろん知るよしもない。
だが経験上、きっとこうだなと思うことがあって、それは「夏休みにしか出来ないこと」を彼らはしているということだ。
初めて行く街。初めて通る道。確か車で連れてきてもらったところ。去年まで親と行っていたお祭り。
彼らは大人になる準備にいそしんでいるのだ。しかも大人の目を盗んで。
中途半端な経験しかしたことのない大人たちがいう「正しさ」なんて根拠がないことを彼らはよく承知している。だから、経験するのだ。自分だけの、自分しか知らない経験を。
この貴重な時間を大人は潰したりしてはならない。これを潰されると彼らはモンスターになる。(と、僕は思う。)
好きな女の子のことを考えて。漠然とした将来に不安を抱えて。悩んで、走って、また止まって。イライラした毎日をどうやったら壊せるのか、考えまくって。死んだらどうなるとか、宇宙の果てのこととか、とりとめもなくわき出る疑問と立ち向かって、そうして、空を見上げるのだ。
「うわぁ、夏だなー」
事故などない良い夏休みを過ごしてもらいたいなぁと、昔の夏休みの少年は思うのであった。
グレイハウンド バス
そろそろこの旅の話も終わりが近づいてきた。でも、その前に数奇な運命の最後を飾るエピソードを書かなければ、終われない。
警官からヒッチハイクの禁止を命じられた僕が、素直にそれに従うほど良い子ではなく、また、簡単に諦めちゃったりする人間でないことは、この話を書いている時点でわかることだ。もしかしたら、命が無かったかもしれない。
「外務省に訴えてやるぞ!俺は日本人だ!」と、訳の分からぬ捨てゼリフと、汚い4文字言葉を吐き捨て、国道を走り始めてから、約20分。どうやら、警官ももういないとわかったので、再びヒッチハイクを始めた。すると、白人の若者が運転するピックアップが止まってくれた!
なんとか交渉して、グレイハウンドのバス停まで乗せていってもらえる話をつけた。
ピックアップは、暗闇の砂漠をひた走る。荷台で見る星空は、信じられないほど美しいが、今、僕の目は時計の針から逸らすことができなかった。
9時。そう、時計の針はもうすでにバスの定刻を過ぎていた。この分では、バス停に着くのは10時過ぎる。
どうしたら良いか、頭はグルグル回る。Windows Rockというバス停には、頻繁にバスが来る訳ではない。次は一体いつなんだろう。果たして飛行機に間に合うのか?
若者たちに礼を言い、誰もいないショッピングモールを横切り、バス停に向かう。すると、僕と同じようにバックパックを背負った若い白人の女性がバス停で腰掛けていた。この人も乗り遅れたのか、それとも次のバスを待っているのか。
「すみません。ここで何をしてるんですか?」
「バスを待ってるのよ。」
そりゃそうだ。バス停でバスじゃないものを待ってる人はそういない。
「何時のバスですか?」
「9時よ」
「やっぱり… え?なんて?」
「9時のバス。もう1時間以上も遅れてるわ。あなたも同じバス?」
この時、僕は神に祈る訳ではなく、会ったこともないインディアンのメディスンマン=祈祷師に、タバコとこの数奇な運命への感謝を捧げた。
いや、本当は時間にメチャメチャいい加減なアメリカ人の仕事ぶりに感謝すべきだったのかもしれない。
なぜなら、バスがそこに到着したのは、2時間以上遅れた11時過ぎだったからだ。
ちなみにそこにいた白人女性は、ブロンドのフランス人だったが、なんのロマンスにも発展することはなかったことを付け加えておく。
最後まで、読んでいただき、ありがとうございました。あなたにも、素敵な出会いと素敵な旅を。
アリゾナ州はヒッチハイク禁止
実は、この物語を書き始める前は、パウワウのビデオを共有したかっただけで、他に理由はなかった。でも、いざとなったら、エピソードを交えながら、観てもらった方が良いのではと思って話をここまで広げたのだが、まさか、こんなに長くなるとは自分でも予想しなかった。
でも、折角なので、もう少しだけこの旅にお付き合いいただきたいと思う。
パウワウには、太鼓とファルセットの歌で演奏される曲がセットになっている。ビール瓶は、その曲名や歌の意味をあれこれと教えてくれ、なかなか楽しめた。その傍で、黒服は何やら僕が手に入れたネイティヴアメリカン詩集に落書きしている。まだ、ここにいたいなぁと思ったが、夕暮れが近づいてきている。
「ねぇ、そろそろ帰りたいんだけど、どうやって帰れば良いかな?」
僕はもちろん彼らが、ヒッチハイクでもなんでもして、僕をさっきのモールまで連れて行ってくれるものと勝手に信じていた。
「それは、わからない。なぜなら、俺たちの家はここにあって、今日はもうモールへは戻らないから。」
ガーン!頭に一発重いのを食らったような衝撃だった。どうしよう、もちろん、タクシーもない。電車もバスもない。考えてるうちに、日はドンドン落ちていく。様子を見ていても、やっぱり、彼らは何かをしてくれる感じじゃない。気持ちを切り替えて、立ち上がる。
「じゃあ、行くわ!またね!」
どんなことがあっても、僕らは熱い友情で結ばれているのだ。去り際は、それこそ、電車で一駅ぐらい先に行くような雰囲気である。
彼らと握手をして、そこを立ち去ったは良いが、正直言って、わかっているのは、帰る方向くらいだ。
仕方ない。歩こう。まずは、自分が来た方へ向かって。けれど、行けども行けども、砂漠が続くだろう。考えるとゾッとする。
辺りは暗くなって、どうにもヤバイ感じになってきている。バスの出発時刻まで、それほど猶予はない。ここから一時間は優にかかる距離だ。
歩きながら思い切ってヒッチハイクをしてみるが、誰も止まってくれない。やがて、警官が近づいてきた。
「おい何やってるんだ!アリゾナ州は州法でヒッチハイクは禁止されてる!これ以上、続けると逮捕するぞ!」
お祭りの会場へ
意外と知られていない話だが、アメリカの恥部とも言われているベトナム戦争に借り出されたネイティヴアメリカンは多い。
運転手のおじさんと荷台の窓越しに話したのだが、彼は日本に一時いたという。
「この脚はベトナムでやられたんだ。俺はその時、沖縄から行ったんだよ。日本は良い国だ。」
リザベーションに入ると、荷台の若者は先に降り、再び3人でWindows Rockを目指す。もう、その辺に来るとお祭り騒ぎが始まっていて、車も渋滞し、警官も道路整理をしていた。
「さぁ、行こう。」
僕と、黒服、ビール瓶。3人連なりに歩いて、リザベーションの中へ。まるで地元にある米軍基地に入っていく気分だ。
特設の野外ステージには、たくさんの白人が座り、パウワウと呼ばれるネイティヴアメリカンのダンスコンテストが行われていた。一時だけでも絶望を忘れさせてくれる、そんな雰囲気だった。
初めて観たその光景は、今でも脳裏に焼きついていて離れない。
ゼッケンをつけ、羽根で着飾ったダンサーたちが、フィールド狭しと円形に踊る。目と心を同時に奪われた。
勇壮で、激しい情熱を伴うダンス。どこか、日本人のルーツにも似た何かを感じると思う。皆さんも、ぜひ観てみてください。
絶望を載せたピックアップ
どうなるか不安で仕方ない僕だったが、言われるがまま、荷台へと乗り込んだ。
僕と、黒服の男、そして、またしても酔っ払いのインディアン、3人での短い旅が始まった。
当然のごとく、新しい方のインディアンが話かけてくる。どこから来た、何してる、云々の常套句だ。
彼は片手に何やらビンを持っていて、そのビンの中には得体の知れない液体が入っている。ウイスキーではなく、多分ビールのような感じだが、パッと見たところ、お酒であるのは明白だった。
タバコを勧めると、喜んで吸い始め、自分のことを訥々と語り始めた。
そんな時、道路沿いにヒッチハイクするネイティヴアメリカンの若者がいた。こいつも明らかに酔っている。そして、Tシャツからジーンズまで嘔吐物にまみれていた。
荷台に乗り込んだ酔っ払いの若者は瞬く間に眠りこけた。ひどい有様だった。
ビール瓶の男に聞いてみる。
「彼はあんなに若いのに、どうしてあんなにボロボロなんだ?」
彼は言う。「俺たちのところじゃ、みんなああだ。他にすることもないしな。」
「俺もあいつぐらいの時に、希望に満ちて街に出たよ。ロサンゼルスさ。グレイハウンドに乗ってね。何でもやったよ。皿洗いからなにからな。でも、すぐクビだ。差別もひどい。何年か働いてリザベーションに戻ってきた。そん時に俺の手の中にあった金は、グレイハウンド片道切符分だけ、それだけだった。」
若者の方に目を向けた彼が続けた。
「あいつもきっと同じだ。リザベーションにいる奴らはみんなそんな感じだよ。」
絶望を荷台に乗せたピックアップは、目的地に向かいスピードを上げ、砂漠の真ん中を走っていく。
1997年5月。僕は日比谷野外音楽堂の裏手あたりを歩いていた。
1990年から毎年毎年楽しみにしていた「ジャパンブルースカーニバル」という音楽イベント。この年の大トリだった「B.B. King」の演奏にノックアウトされ、興奮を少し冷ますために散歩していたのだった。
通い詰めて7年目。そろそろBLUESも耳に馴染んで来たはずであったのに。
僕の浅はかな知識など、どこかに吹っ飛んでしまうGenuine BLUES。それが、B.B. Kingだった。
BLUESの巨人が奏でるギターのチョーキング音が、夕暮れ迫る野音に圧倒的な存在感とともに鳴り響く。耳ではなく、胸の奥へと直接届くようなそんな音だった。
浴びるように飲んでいたミラービールの酔いもあってか、心地よい時間と空間を堪能した僕は、そんなことを繰り返し考えながら、ぶらぶらと野音の周りを当てどころもなく歩き、ステージ裏へとたどり着いたのだった。
するとそこに、レコードとマジックペンを握った二人のおじさんが立っていた。
それが何を意味するのか、たちどころに理解した僕は、彼らとともに待つことにした。そうkingの出待ちだ。
10分ほど待っただろうか。いや、もっとだったかもしれない。一台の黒塗りのリムジンが僕らの前を横切り、内幸町の交差点方面へ。もちろん、止まってくれる気配はない。
レコードもペンも持たない僕は、考える間も無くリムジンを全速力で追いかけ始めた。
次の信号は赤だ。必ず追いつける。あんなに飲んでいたのに、人というのは、ここまで走れるものか?いや、若さゆえか。
やっとの思いでついにリムジンに追いついた僕は、無我夢中で、後部座席の真っ黒の窓ガラスを叩いた。
「Mr.B.B. King! Mr.B.B. King!」
うっすらと人影が見えるだけのプライバシーガラスがゆっくりと降り、その隙間からサングラスをかけたB.B. Kingの顔が見えたときは、感激で気が遠くなりそうだった。
ニコッと笑った彼にすかさず右手を差し出す。
今でも忘れることのできない巨人の手。数々の名曲を奏でてきた、その分厚い手。その温もり。
僕がそんなことをしている間に、あのおじさん達もなんとか追いついてサインをしてもらっていた。「チェッ。俺も持ってくれば良かったなー。」彼らを横目に一足先に日比谷駅へと向かう足取りは軽かった。
これが僕のB.B. King とのSweet Memoryだ。
B.B. Kingが亡くなったとの訃報を受け、そんなことを昨日のことのように思い出し、故人を偲んだ。
Rest In Peace.
Windows Rockの住人
タバコ一本くれと言ってきた、ネイティヴアメリカンは、明らかに酔っていた。しかし、格好はいかにもという感じで、全身ビーズをあしらった黒で決め、サングラスをかけ、エンターテイナーさながらである。
ヒマを恐れるせっかちな僕は暇つぶしのつもりで、タバコを差し出した。
彼は喜び、僕の隣に座った。間髪いれず、そいつは色々と聞いてくる。何してるんだ、どこから来た、云々。これまでに気がついたのだが、ネイティヴアメリカンたちは、みんな話が好きだ。誰でも彼でもその調子。ところが彼は風貌もさることながら、昼間からかなり酔っているので、どうも地元の人たちも避けているようだった。だが、まあ、いい。
彼の身なりは、さっき話した通りだが、よく見ると彼の拳は血だらけで、それが乾いてボロボロになっていた。僕がどうしたのか尋ねると、
「わからないんだ、自分でも。夜になると無性に腹が立って、気がつくと壁を殴ってる。来る日も来る日も。」
かさぶたから微かに見える白いものが骨であるのに気づくのにそんなに時間はかからなかった。
彼らはどこかいつも悲しみを帯びている。それは一体どこから来るのか。街のあちこちで見かける彼らは、いたって普通のアメリカ人である。英語で会話するし、着ているものもアメリカ人そのものだ。だけど、白人にあって、彼らに無いものがある。
ーそれは、希望 。 人として当たり前のように公平に、ごく平凡に、人生を全うする権利である。彼らにはそれが無い。
つまり、彼らは自分たちの人生に絶望しているのだ。
そんなことを話しているうちに、こっちの身の上話になった。それでここまでのエピソードをかいつまんで話し、”Windows Rock”に行きたかったがバスが無いんだと言うと、驚いた表情で
「Windows Rockだって⁉︎俺の家はそこにあるぞ!じゃあ、すぐ行こうぜ!」
やった!と内心叫んだが、いや、本当に行けるのか?金とかせびられて終わりじゃねーのか。ここで離れておかないと大変なことに…と、様々な不安が心をよぎる。
なんとなく、でもかなり強引に彼は俺を外へ連れ出した。
「さぁ、行こう!」駐車場に出た彼はドンドン歩いていく。
なんだ、車で来てるのか。と安心したのも束の間、ついに駐車場を通り過ぎ、車の行き交う大通りに出たと思ったら、道路を渡りその向こうにあるガソリンスタンドへと走っていく。
やっとの思いで追いつくと、「ちょっと待ってろと」言い残したまま、黒服インディアンは、給油中の運転手に何やら小声で交渉を始めた。
え?これってもしや?
「よし、乗れ!OKだ!」
赤いピックアップの荷台を指差し、俺に乗るよう促す。運転手さんは、片脚がない初老のネイティヴアメリカンで、俺に微笑み、同じく乗れという仕草をした。
ヒッチハイク‼︎ 果たして、大丈夫なのか⁉︎
不安なまま、荷台に乗り込むと、そこには何と先客がいた。それは、またもや、人生に絶望した、酔っ払いのネイティヴアメリカンだった。
宮田尚明(みやたひさあき) 1960-2015
福生を代表するギタリスト、宮田さんが5/9深夜自宅で亡くなったとの報せを受けた。まだ気持ちの整理はつかないが、故人に寄せる思いを綴っておく。
宮田さんとは、長い付き合いになる。俺がガキのころ、あの辺をウロウロし始めたころからだから、20年以上だ。どんな人かと聞かれれば、誰もが即答できる。「すごいギタリスト」だった。
その不思議な音色は、独特のオープンチューニングにあり、一度、どうなっているのか尋ねたことがあったが、笑いながら「秘密だよ」 と言われたまま、ついぞわからずじまいになってしまった。
カニ坂の打ち合わせで「人前で喋ったり、モノ書いたりすんのが嫌だから学校ドロップアウトしたのに、自己紹介なんかさせんじゃねーよな。」と言ってたっけ。
あんなにグデングデンになるまで飲んでステージに上がるのに、ギターの音は間違えない。ギターと身体が一体化したような人だった。
SOULバンドのお披露目の日。一番前で音を聴いてくれてたね。あなたに認めてもらいたかったんだ、ずっと。だから、とても嬉しかった。
去年のある晩、シャックのカウンターで二人で話したことが、忘れられない。
「俺、ヒッピーで良かった。」そう言ってた。
あの日は、色んなことを話してくれた。俺はついに説教されるのかなと、ちょっとだけビビってたんだけど、何も言われなかった。他の話は俺だけの宝物にしよう。ね、いいでしょ、宮田さん。
音楽の女神、ミューズに見染められたギタリストは、もう二度と聴くことが叶わない、その音色とともにあの世へと旅立っていった。
チクショウ…早すぎるよ、宮田さん。